2023/04/18 09:00

「年齢、国籍、信条に関係なく皆で一緒に食べたい」。[エイタブリッシュ]のヴィーガンスイーツ。

[エイタブリッシュ]のヴィーガンスイーツ。イメージ1
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[エイタブリッシュ]のヴィーガンスイーツ。イメージ4
カラフルでおしゃれなパッケージに、ずっと眺めていたくなるような可愛らしい形のクッキー。東京・南青山でパーラーを運営する[エイタブリッシュ]のスイーツは、自分へのご褒美や手土産として幅広い層から愛されています。実は、ここで提供しているスイーツはすべてヴィーガン(完全菜食)。[エイタブリッシュ]では2000年の創業当時から卵、バター、ミルクなどの動物性食材を一切使用しない商品を提供してきたといいます。
「見た目が美しいのはもちろんのこと、食材の制限のある方々でも安心して食べられて、かつ、おいしさも兼ね備えたヴィーガンフードを販売したかった」と話すのは、代表の川村明子さん。今でこそヴィーガンという考え方が日本にも浸透していますが、なぜ、20年以上前にこうしたスタイルのスイーツを展開しようと思ったのでしょうか。川村さんに話を伺いました。
キャリアのスタートはデザイナー。ふとしたきっかけから飲食店経営者に。

キャリアのスタートはデザイナー。ふとしたきっかけから飲食店経営者に。

もとはデザイナーとして活躍していた川村さん。彼女が飲食店経営者となったきっかけは、仕事を通じてインテリアショップ『TIME&STYLE』代表の吉田龍太郎さんと出会ったことでした。彼が青山に新しい飲食店をオープンする際、一緒に運営しないか」と川村さんに声をかけてくれたのだといいます。
何人かで集まってお店のコンセプトを考えるうちに出たのが「ヴィーガンメニューにしよう」というアイデア。「私自身はヴィーガンではありませんが、ヴィーガンメニューにすることによって宗教、思想にかかわらず誰でも同じ食卓を囲めるという趣旨にはものすごく共感しました」と、川村さんは当時を振り返ります。「やるからには店の内装も洗練させたかったし、ただヴィーガンメニューにするだけでなく、味もちゃんとおいしいものにしたかった。なんでも徹底的にやらないと気が済まない性格なんです」。
ヴィーガン、グルテンフリー。目指したのはユニバーサルフード。

ヴィーガン、グルテンフリー。目指したのはユニバーサルフード。

「誰でも同じ食卓を囲める」。日本に住んでいるとなかなか気づかない視点ですが、世界を見渡すと、さまざまな理由から、完全菜食の方や特定の動物を食べない方はたくさんいます。たとえば味噌汁ひとつとっても、出汁に煮干しが使われていればヴィーガンの人は食べません。「同じ食卓を囲む」というのは実はとても特別なことなのです。
だからこそ、川村さんにとって動物性食材を使用しないメニューの開発は意味がありました。そして、現在ではさらに一歩踏み込み、アレルギーのある人にも配慮したグルテンフリーの商品も増やしています。「約8割のスイーツは小麦や大麦、ライ麦やオーツ麦などを使用していません。食事制限のある方も、ない方も、みんなが一緒に楽しめる商品を提供していきたいと考えています」。
[Cafe8]から[エイタブリッシュ]へ。

[Cafe8]から[エイタブリッシュ]へ。

2000年にオープンした当時の店名は[Cafe8]で、メニューも現在とは異なりました。スイーツも作り始めたのは15年ほど前のこと。さらに、現在のようにパッケージ化したクッキーにも力を入れ始めたのは、コロナ禍となる直前の2019年頃でした。
インターネットで全国のおいしいものが買えるようになるなど食の在り方が変容していくなか、川村さんは「これからはお客様に食べに来ていただくことが主の時代ではなくなる」と感じていたそう。スイーツであれば全国、世界中どこにでも持っていけるし、長持ちする。そんな想いからパッケージフードの準備を進めていたといいます。都内百貨店の地下食品街にテイクアウト専門店をオープンさせたのは、奇しくも最初の緊急事態宣言の3日後。そして2020年6月、ヴィーガンレストランからパーラー[エイタブリッシュ]リニューアルしました。
柔軟さも大切。時と場合に応じて、上手にプラスチックを取り入れる。

柔軟さも大切。時と場合に応じて、上手にプラスチックを取り入れる。

社会を広い目で見渡して課題を発見し、自分のアイデアを通じてその解決に取り組もうとする川村さん。常温長期保存食品シリーズ『OhBRAVO』にも、独自の発想が盛り込まれています。「サステナブルな視点から考えると、プラスチックの使用は慎重にならなければなりません」と前置きをしたうえで、川村さんは敢えてこの商品にプラスチックの袋を使用しています。
「ただし、レトルトパックにすることによって半年以上持たせることができ、非常食にもなりうる商品として販売できるのです。環境に良くないからといってプラスチックの使用を避けるのか、人の命を優先するために最小限におさえて上手にプラスチックを使うのか。時と場合によって優先順位が変化することもあるから、私自身も常に柔軟に物事を捉えられるよう心がけています」。

デザイナー視点でサステナブルを考える。

冒頭で紹介したクッキーの入れ物についても、川村さんは考え抜いて作っています。
「お菓子の容器を可愛らしいデザインの缶にすることで、サステナブルにつながるんじゃないかと思っています」と、川村さん。なぜなら、食べ終わった後も捨てずに保存容器として使い続けてもらえるかもしれないから。すると、ゴミの量を削減することにもつながります。
「デザイナーとは、自分達の作品を受け取った方が次にどういうアクションをとるか、何を感じるかということまで想像するものなんです」。
川村さんの話を伺った後あらためて[エイタブリッシュ] のクッキーを眺めてみると、見た目が可愛いくて、かつ、サステナブルで、しかも多様性を認める懐の広ささえ感じられるようになってきました。川村さんのように柔軟な姿勢で社会の課題を解決していけたら、こんなに素敵なことはないのかもしれません。
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2023/04/18 09:00

親子3代で紡ぐ、おいしい牛乳をめぐる物語。

ミルク工房そら
ミルク工房そら
ミルク工房そら
ミルク工房そら
ミルク工房そら
京都駅から電車でおよそ3時間。日本海に面し、息をのむような美しい自然に囲まれた京丹後市・久美浜町に[ミルク工房そら]はあります。近畿最北端のこの地に酪農という文化を根付かせ、「酪農王国にしたい」という想いを抱えて創業してから約70数年。今では、たくさんのシェフらからの熱視線を集めるだけでなく、全国各地から人が訪れる工房に。おいしい牛乳を届けるために、創業者の孫である平林学さん一家は、ジャージー牛へ愛情をたっぷり注いでいます。
大量生産、大量消費ではなく、顔が見えるものを届けたい。

大量生産、大量消費ではなく、顔が見えるものを届けたい。

[ミルク工房そら]の前身である『平林乳業株式会社』は、平林学さんの祖父が、終戦から数年経ったある日に1頭のジャージー牛を引き取ったことにはじまりました。さらに小学校の廃屋を譲り受けて手作りの処理場を建て、牛乳屋さんとして出発。牛の世話から、草刈り、田んぼの作業まで、家族で毎日休まず作業したそうです。
経済が発展し、世が大量生産、大量消費の時代に突入する中、2代目にあたる学さんの父・衛さんご夫婦は、そんなただ生産を続ける毎日に疑問を感じ始めます。
「このまま大量生産・大量消費によって生産者の顔が見えないものを作り続けていていいのだろうか。生産者の顔が見える、おいしい牛乳を皆さんに届けたい。牛乳の価値をもっと高めたい」と。この熱意のもと、今から20年ほど前に牧場と同一敷地内に[ミルク工房そら]をオープンさせました。訪れた方に生産者たちのありのままの様子を知ってもらえるだけでなく、搾りたての牛乳をチーズやジェラートなどに加工し、販売できる環境を整えたのです。
大阪でアパレル関係の仕事に就いていた学さんが家業を継ぐために戻ってこられたタイミングで、牛乳を加工したチーズをたっぷりと使用したピザを提供するカフェを併設することになり、より地域の人に愛される場所として進化を遂げています。
愛情を込めて育てることがおいしい牛乳につながっていく。

愛情を込めて育てることがおいしい牛乳につながっていく。

[ミルク工房そら]に隣接する『丹後ジャージー牧場』では、現在40頭のジャージー牛が育てられています。一般的なホルスタイン牛に比べると乳量が少なく、生産効率が悪いと考えられているため、日本ではあまり飼育されていない珍しい品種です。
ただ、ジャージー牛の乳脂肪分は5%、無脂乳固形分は9%と濃厚でβカロテン含量が高いため、おいしい牛乳を届けるためにはジャージー牛はとても大切な存在。「効率ではなく、大事なのは牛乳の味」だと学さんはおっしゃいます。
ここではすべての牛たちを家族の一員として、愛情を持って育てています。自然に近い環境で極力ストレスがかからないよう考慮するだけではなく、一頭一頭のエサをチェックし、体調管理も欠かせません。「この子たちも、わたしたちの家族。だから名前もつけてかわいがっているんです」
「家族の一員である牛たちから生まれた牛乳は大切な宝。それらを無駄にせず、より価値の高いものに生まれ変わらせて還元したいという気持ちで、[ミルク工房そら]で、ジェラート、ミルクジャム、チーズなどに加工しています」。
「宝である牛乳を一滴も無駄にしたくない」。牛乳をより価値のあるものへ。

「宝である牛乳を一滴も無駄にしたくない」。牛乳をより価値のあるものへ。

「牛乳はなまものなので日持ちがしません。一番おいしい搾りたての状態を飲んでもらいたいと願っても、全国にお届けするのは難しい。牛乳を一滴も無駄にしたくない、そして牛乳の新たな魅力を知ってもらいたいという想いを込めて、毎朝搾りたての牛乳を使って、工房ではさまざまな加工品を作っています」。
工房を訪れる人たちが必ずといっていいほど注文するのが、余計なものを一切加えずに作る『ジェラート』。ミルク味は、よりダイレクトに自慢の牛乳の味を感じて欲しいから、牛乳、生クリーム、砂糖しか使っていないという徹底ぶりです。
いちごや抹茶など、地元京丹後の食材を組み合わせたものも大人気。お店にはおよそ10種類ほどのフレーバーがあり、季節限定品や新製品も続々登場するそう。「一緒に働いているメンバーからアイデアをもらうことが多いです。地元の特産物と、我々の牛乳がうまくマッチするようなレシピを考えてくれるので頼りにしています」。
『ミルクジャム』は、工房のロングセラー商品。搾りたての牛乳を6時間以上混ぜながら加熱し、なめらかなキャラメルクリームのようにしていきます。「加熱しすぎると分離してしまうので、職人さんの見極めが必要なんです」。
牛乳というすばらしい素材にあぐらをかくことなく、職人さんたちの妥協を許さない心を集結させて、商品を作り続けています。
「京丹後の生産者さんたちと関係を深め、ストーリーのあるものを作っていきたい」。

「京丹後の生産者さんたちと関係を深め、ストーリーのあるものを作っていきたい」。

かつては、酪農という仕事や、この京丹後が嫌いだった学さん。「どこにいっても牧場の息子としてみられるし、田舎ですしね(笑)。地元が嫌で、“真逆なことがしたい”と、家業とは全く異なる仕事に就いたんです。でも、野生の牛が歩いているようなイタリアの田舎町を旅した際、その土地で採れた食材を使った料理を食べて感動していたら、故郷の風景が目に浮かんできたんですよ。
豊かな自然に恵まれておいしい食材の宝庫である京丹後でも、このような体験ができるんじゃないかって。うちのチーズや地元の食材を、料理人に調理してもらえたら、より地元が盛り上がるんじゃないかと」。
京丹後に戻り、家業を継ぐことになった学さんは、イタリアンやフレンチのシェフ、農家さんなど地元で活動する方々と交流を深め、知見を広げていきます。「同世代の方も多く、刺激になりますよ。例えば、うちのチーズに合うナチュラルワインや、ジェラートに合う野菜や果物を教えてもらうと今まで以上に牛たちへの愛情も深まっていきますし、一緒に働いている工房のメンバーへの尊敬の気持ちも強くなります。同じような感度の人と出会えたから、故郷を好きになれたんだと思います」。
「地元が嫌いで飛び出した過去があるからこそ、今後はもっと京丹後で暮らす自分たちにしかできないようなものを生み出して発信していきたいですね。大量生産はできないけれど、よいものを作って、届けるべき相手にきちんと届けたい。それが、自分の使命だと感じています」。
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2023/04/18 09:00

「一関と東京を、食で繋ぐ」。名店[格之進]に貫かれる地元愛。

「「一関と東京を、食で繋ぐ」。名店[格之進]に貫かれる地元愛。イメージ1
「一関と東京を、食で繋ぐ」。名店[格之進]に貫かれる地元愛。イメージ2
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「一関と東京を、食で繋ぐ」。名店[格之進]に貫かれる地元愛。イメージ4
六本木や渋谷、丸の内など食の激戦区で人気を集め、存在感を発揮し続ける熟成肉の店[格之進]。グループを率いる千葉祐士(ちば ますお)さんは、メディアでもおなじみの名物社長です。
そして少しお話しするだけでもわかりますが、千葉さんの肉への愛情と知識は圧倒的で、まるで肉の生き字引。しかし、それでも博士や伝道師でなく、あえて“肉おじさん”と名乗るのは、「皆様と一緒に肉の世界を盛り上げていきたい」との想いからだそうです。そして、肉への愛とともに千葉さんの根底を支えるもうひとつの信念が、地元・岩手への愛。
はたして千葉さんと[格之進]は、どんな想いで肉と向き合い、どんなこだわりで肉を扱っているのでしょうか。その秘密を探るため[格之進]の本拠地である岩手県一関市を訪れました。
拠点は、廃校になった小学校。この校舎から新たな賑わいが生まれることが「地域への恩返し」

拠点は、廃校になった小学校。この校舎から新たな賑わいが生まれることが「地域への恩返し」

一ノ関駅からタクシーに乗って30分ほど。教えていただいた[格之進]の本社兼工場を見て、驚きました。それはどこからどうみても学校。校庭があり、体育館があり、昇降口がある、小学校そのままの姿だったのです。実はこここそが[格之進]の本拠地。
2013年、統合のため廃校となった門崎小学校を、本社として利用しているのです。
「地元への恩返し」千葉さんはそう語ります。
千葉さんの父親も、千葉さん自身も、そして千葉さんの子どもたちも、皆この学校の卒業生。母校であり、地域の象徴であるこの学校が閉鎖され、ただ朽ちていくよりも、[格之進]の基地として新たな賑わいの拠点としたい。そんな想いが込められた革新的な挑戦です。
かつての体育館をまるごと工場にリニューアル。型破りな挑戦でハンバーグ作りに挑む。

かつての体育館をまるごと工場にリニューアル。型破りな挑戦でハンバーグ作りに挑む。

熟成肉と並ぶ[格之進]の看板商品・ハンバーグ。そのハンバーグもまた、この小学校跡で作られています。
工場は校舎左手にある旧体育館。今回は特別に工場の中を見学させていただきました。外から見ると体育館ですが、その中は先進的な工場。衛生管理や温度管理が徹底され、こだわりのハンバーグが作られています。
「さまざまな機械を導入していますが、実は味を決めるのは人の舌。従業員が毎日必ず試食をして細かな調整をします」とは工場責任者の松橋孝幸さん。ちなみに従業員の皆さんが着る白衣は、地元のクリーニング店に洗濯を依頼しているそう。手洗いと手掛けアイロンにこだわる昔ながらのクリーニング店。ここにも「地元に貢献したい」という千葉さんの想いが表れています。
「伝えたいのは、肉の味」。「格之進」のハンバーグが、人気を集める理由。

「伝えたいのは、肉の味」。
[格之進]のハンバーグが、人気を集める理由。

1日1万個。それがこの工場で作られるハンバーグの数です。これほど多くの人を惹きつけるハンバーグの魅力は、いったいどこにあるのでしょうか?
「一般的なプロダクトは、ブレのない均一な味を目指します。しかし私達が目指すのは生産者が心を込めて生産した食材をそのまま消費者に伝えることです」千葉さんはそうおっしゃいます。
脂の溶ける温度が異なる肉をブレンドして口溶けをコントロールすること、こだわりの塩麹で旨みを引き出すことなど、おいしさの秘密はいろいろ。しかしそれ以上に、千葉さんが信頼を寄せる岩手県の生産者の存在が、[格之進]のハンバーグを唯一無二のものにしているのでしょう。
味の決め手は、岩手産の厳選素材で仕込むオール岩手の塩麹。

味の決め手は、岩手産の厳選素材で仕込むオール岩手の塩麹。

ハンバーグの味の決め手は、肉のタンパク質や糖質をアミノ酸に分解し、旨みを引き出す塩麹。[格之進]のハンバーグに使われる自家製塩麹も、岩手産の原料から作られています。
三陸野田産の天然塩「のだ塩」、岩手初のオリジナル麹菌「黎明平泉(れいめいひらいずみ)」、そして門崎地区のメダカが泳ぐ田んぼで作られる「めだか米」。オール岩手産原料で作られた塩麹なのです。
この日、千葉さんが案内してくれたのは、収穫を間近に控えた「めだか米」の田んぼ。張り巡らされた水路には、暖かい時期になると絶滅危惧種のミナミメダカが泳ぐのです。繊細なメダカが泳ぐほどの環境なら、もちろん人の体にも安心安全。夏にはホタルもやってくる自然豊かな田んぼは、岩手の恵まれた自然の象徴です。

岩手の魅力を、東京に、世界に発信。地元への想いが、サステナブルに繋がる。

「良い肉を、より良い形でお客様に届ける。すると生産者は“もっと良いものを作ろう”となる。その循環が地元のため、そしてお客様のためになっているのです」取材の終わりに千葉さんはそう話しました。
千葉さんが話すのは、岩手のこと、生産者のこと、お客様のこと。「誰かのため」という想いが巡り巡って、[格之進]の熟成肉やハンバーグをおいしくしているのです。近年の国際情勢による穀物価格の高騰やコロナ禍での消費減少など、生産者に逆風が吹く時代。
「島国日本のサステナブルとは、船や飛行機で遠くから運んでくるのではなく、地元に目を向けてそこにあるものを大切に使うこと。それは日本の昔の姿。無いものを作るのではなく、かつてあったものを蘇らせることです」。SDGsが注目されるずっと前から、岩手・一関でそれを実践していた千葉さんの言葉には、強い説得力がありました。
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2023/04/18 09:00

「命は命で元気になる」。京都[発酵食堂カモシカ]が伝える発酵食品の素晴らしさ。

カモシカ食堂
カモシカ食堂
カモシカ食堂
カモシカ食堂
[発酵食堂カモシカ]は、京都・嵐山のほど近くに店を構える発酵食品専門店です。建物1階に[発酵食堂カモシカ]、2階に[発酵マルシェ]を構え、そこから徒歩30秒の距離に位置するラボでは『生甘酒』、『麹納豆』などさまざまな商品を作っています。そんな[発酵食堂カモシカ]の理念は「命は命で元気になる」。この命とは、人間と、発酵食品のなかに存在する微生物の命のことを指しています。
「すべての発酵食品は、素材のなかで微生物が働くことで人間だけでは成し得ない深みのあるおいしい味が生まれます。さらに、栄養価が上がる。微生物の力で生まれたおいしい食べ物で人間の体を元気にしたい、と考えています」とは、代表取締役の関 恵さんの言葉。関さんの発酵食品にかける想いを聞きました。
食堂は出会いの場。お客さまが発酵食品を身近に感じるきっかけを作る。

食堂は出会いの場。お客さまが発酵食品を身近に感じるきっかけを作る。

まずは、1階の[発酵食堂カモシカ]から見学させていただきました。入店してまず目に入るのが、木の棚にずらりと並ぶ保存瓶の数々。いずれも、ザワークラウトや柚子胡椒など自家製の発酵食品です。注文した料理を待つあいだ、これらの瓶を眺めているだけでも楽しい気分になります。
「お客さまが発酵食品を身近に感じるきっかけになるよう、あえて目に入る位置に保存瓶を並べています」と、関さん。「料理を食べて『おいしい!』と感じたら、その後にまたこの瓶を見て『自分の家でも発酵食品を作ってみようかな』と思ってくださるかもしれないと期待しています。なぜなら、ここに並ぶ自家製の発酵食品のほとんどが、瓶の中に材料を入れておくだけで完成する簡単なものばかりだからです」。
随所に光る職人技。素材本来のおいしさを引き出した、毎日でも食べられる自然な味。

食堂のメニューを通じて発酵食品のおいしい食べ方を提案する。家庭の食卓につなげる2つのステップ。

次に、食堂の人気メニュー『発酵8種定食』を試食させていただきました。お盆に並ぶのは、発酵8種盛りや旬の自家製ぬか漬けに、京白味噌のお汁といった発酵食品の数々。どれも発酵食品特有の深みのある味わいや、旨みが口いっぱいに広がります。
食堂のメニューのうち『ぬか漬け』や『季節の酵素ジュース』などはテイクアウトも可能。あるいは「自分で発酵食品を作ってみよう」と興味が湧いたら、2階の[発酵マルシェ]で材料や道具を買い揃えることもできます。
「食堂で実際に食べて発酵食品のおいしさを知ってもらい、テイクアウトかマルシェで自宅に発酵食品を持ち帰る。そんなふうにして、お客さまの生活に発酵食品が浸透していけばいいなと思っています」と、関さんは話します。
自宅で発酵食品を楽しんでほしい。そんな想いから生まれた[発酵マルシェ]。

自宅で発酵食品を楽しんでほしい。そんな想いから生まれた[発酵マルシェ]。

次は建物2階の[発酵マルシェ]を見学させていただきました。ぬか床の手作りキットや保存瓶など、発酵食品作るときに必要な道具がここで揃います。そのほかに自家製の『玄米甘酒ドレッシング』、全国から仕入れた魚醤や醤油など便利な発酵食品も並んでいます。
「味噌や醤油、ぬか漬けなどの発酵食品は日本の伝統食品です。味もおいしく栄養価も高く、保存食としても活躍するこの素晴らしい食文化を途切れさせないよう、このマルシェを『発酵食を台所に取り戻す』ための場にしたい」と、関さん。マルシェでは発酵食品に関する情報を詰め込んだオリジナルのフリーペーパーを配布しているほか、お店の方に相談すれば、自宅で発酵食品を作る際のアドバイスをもらうこともできます。
自身の体験から生まれた、発酵食品に対する熱い想い。

自身の体験から生まれた、発酵食品に対する熱い想い。

そもそも、関さんがこんなにも発酵食品に惹かれたきっかけはなんだったのでしょうか。
お話をお聞きすると、ご両親が薬剤師で、子どものころから健康に深い関心があったことがわかりました。成長する過程で自分でも勉強するうちに、関さんは特に予防医学に興味を持ったそう。
症状が現れてから薬を飲んで治すのではなく、日頃から丈夫な体づくりに励んで健康を維持したい。そんなことを思っていた矢先、出産・育児を体験してより一層、健康な体づくりに興味を持つようになったといいます。「そして行き着いたのが、食でした」と、関さん。丈夫な体を作る、良い食事をとること。それがもっとも簡単で、楽しく、長続きしやすい健康法なのだと。やがて知ったのが、発酵食品の素晴らしさだったのだといいます。

まずは、おいしい!楽しい!から。伝統の継承や健康への意識は、後づけでいい。

「子どもができるまでは、私も仕事が忙しくて食事をおろそかにすることもありました。当時の自分は、食から健康になりたいけれど、自炊する余裕もないし、かといって、どんな食べ物を選んで買えばいいのかもわからなかった。発酵食品に関する知識を得たいま、あの頃の私と同じように迷ったり悩んだりしている人の力になれたら」と、関さんは話します。ただし、関さんが大切にしているのは、まずは「おいしい!」と感じてもらうことだといいます。
「おいしい、と心の底から感じるからこそ毎日食べ続けるようになって、その結果として体調が整ってくる。体にいいという実感を得られることによって、より一層発酵食品を日々の生活に取り入れるようになり、やがて当たり前のように食卓に発酵食品が並ぶようになり、最終的に文化の継承につながっていく。それが理想形だと思っています」。
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2023/04/18 09:00

300余年続く京菓子店に嫁いだ女性が、女将として看板を背負うまで。

笹屋伊織
笹屋伊織
笹屋伊織
笹屋伊織
月に3日しか販売されない、幻のどら焼をご存知でしょうか。手掛けるのは創業306年の老舗[京菓匠 笹屋伊織]。
江戸時代末期に東寺に納める御用菓子として誕生したどら焼は、今なお店を代表する銘菓です。そして[笹屋伊織]を語るとき、このどら焼とともに忘れてはならないひとりの人物がいます。それが十代目女将・田丸みゆきさんです。今から29年前、大阪から京菓子の老舗に嫁いできたみゆきさん。まったく未知の世界で奮闘し、傾きかけていた店を立て直し、そして幅広い世代への情報発信により和菓子界全体に貢献してきた名物女将です。
きっとそこには、多くの苦労や挑戦があったことでしょう。そんなみゆきさんの物語を伺うため、京都を訪れました。
女性が活躍するチャンスが少なかった京菓子界の古い風習。

女性が活躍するチャンスが少なかった京菓子界の古い風習。

雅な和服姿で出迎えてくださったみゆきさん。まずご自身のお話の前に、京菓子の世界の風習について聞かせてくださいました。実は『京都の和菓子』とひとことで言っても内実は、お茶会や贈答品としての和菓子を商う『お菓子屋(=上菓子屋)さん』、家族などで日常的に食べるお菓子を扱う『おまんじゅう屋さん』、そして正月をはじめとしたお祝いの餅菓子の『お餅屋さん』の3種類に区別されているのだそうです。
そして[京菓匠 笹屋伊織]が属する『上菓子屋』の世界は、厳然たる男性社会。宮中御用達の流れを汲んだ上菓子屋仲間で結成される『菓匠会』には男性しか参加できず、女性が表舞台に立つことはほとんど無い世界。みゆきさんは29年前、そんな古色蒼然たる京菓子の世界へ大阪から嫁いできました。そしてその日から、みゆきさんの挑戦の日々は始まります。
随所に光る職人技。素材本来のおいしさを引き出した、毎日でも食べられる自然な味。

最初の想いは店の売上よりも「この素晴らしい伝統を伝えたい」という熱意。

[京菓匠 笹屋伊織]の創業は、徳川吉宗が将軍となった年と同じ1716年。いくら老舗の多い京都でも、ここまでの長い歴史を持つ店はそう多くありません。しかしみゆきさんが嫁いできた頃は「傾きかけた小さな和菓子屋さん」だったといいます。
それでも府外から来たみゆきさんの目には、伝統の内側にいる人々には当然とされていたことも、新鮮に、素晴らしく映りました。「店の売上を伸ばしたいという以前に、まずこれほど素晴らしい京菓子の文化を少しでも伝えたいと思いました」。しかしそこは伝統と風習に縛られた京菓子の世界。よそ者のみゆきさんの声は、簡単に聞き入れられるものではありません。それでもみゆきさんは、持ち前の負けん気で、とにかく行動をはじめました。
文化発信の広告塔になるために。京菓子界で前代未聞の「女将」が誕生。

文化発信の広告塔になるために。京菓子界で前代未聞の「女将」が誕生。

みゆきさんがまず行ったのは、ホームページの開設。世にはまだSNSもない時代。お店側からの情報発信の重要性にいちはやく気づいていたのです。さらにそのホームページに、『女将の部屋』と題したページをつくり、自身の想いを発信しました。『女将』という言葉を使ったのは、このときが最初。
肩書を周りから勧められた『十代目当主夫人』ではなく『女将』にしたのは、自身が看板を背負い、京菓子の文化を伝えるため。「長いと呼びにくいでしょ?」みゆきさんは、お茶目にそう笑いますが、この肩書にもみゆきさんの強い決意が込められているのです。そしてそこからみゆきさんの活躍が続きます。社内報の作成、和菓子文化に関する講演、新店の出店、社員教育。店はいつしか売上7倍、社員数4.5倍の規模に成長していました。
新たな挑戦を続ける原動力は、積み重ねられた伝統への敬意。

新たな挑戦を続ける原動力は、積み重ねられた伝統への敬意。

カフェを併設した新たなスタイルの店[笹屋伊織 別邸]の壁面には、和菓子の木型が飾られています。職人が手仕事で丁寧に彫った木型、それはいわば伝統への敬意の証。常に前を向き、走り続けているようなみゆきさんですが、その根底には受け継がれる歴史への強い敬意が潜んでいます。
「行事ごとに食べるお菓子、記念日に食べるお菓子、そして日本人がもっとも古くから食べているお菓子である小豆。先人たちが大切にしてきたものを守り、伝えていくことが使命」みゆきさんはそう言います。南区吉祥院にある本社には、資料室も併設されています。そこにも木型やお菓子を入れるための箱である行器(ほかい)などが大切に保管されていました。「代々積み重ねてきた歴史があって今がある。それを忘れないように」そんな言葉が印象的でした。

走り続けた29年間。気づけば『女性の活躍』をテーマにした講演依頼も。

「お菓子を売るのではなく、お菓子を食べる幸せな時間を提供していきたい」みゆきさんは、これからの夢をそんな言葉で伝えてくださいました。京菓子の世界という男性社会で女将として老舗の看板を背負う。言葉にされなくとも、そこにはさまざまな葛藤や障害もあったことでしょう。それでも明るく、力強く、次々と新たな挑戦を続ける姿は、多くの働く女性に勇気を与えてくれます。
ちなみにみゆきさんは女将として休みなく働きながら、4年の間に3人生まれたお子さんを一人前に育て上げました。当初、和菓子文化の発信が中心だった講演も、現在では『300年企業の経営』『社員教育」』『女性の生き方』といったテーマに広がっています。[京菓匠 笹屋伊織]のお菓子を味わうとき、女将・田丸みゆきさんの優しく、明るい笑顔が浮かび、そのおいしさをいっそう心に刻んでくれそうです。
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2023/04/18 09:00

美しい田園風景を次世代につなぐ。自然と共存する[フクハラファーム]の米作り。

フクハラファーム
フクハラファーム
フクハラファーム
フクハラファーム
滋賀県彦根市南部の[フクハラファーム]は、本州最大規模となる約200ha(甲子園球場約52個分)の農地で米作りを行う農業法人です。琵琶湖のほとりで栽培するため水不足に悩まされないことを強みとし、品質が安定した丈夫なお米を育てています。さらに、飛騨山脈からの風が田んぼを吹き抜けていくため風通しが良く、農作物が病気になりにくいこともこの土地の特長です。まさに、豊かな自然が育てたお米。見た目は透き通るように白くつやつやで、食べればもっちりとした食感に魅了されることでしょう。なんといっても甘くて風味が強いのです。一体、どのようにしてこのお米は作られているのでしょうか。稲刈りの様子を見学させていただきました。
自分の愛する風景を守りたい。創業者の思いを引き継ぎ、『守る農業』に取り組む。

自分の愛する風景を守りたい。創業者の思いを引き継ぎ、『守る農業』に取り組む。

フクハラファームに伺ったのは10月初旬。よく晴れた空の下、金色に輝く稲穂がサラサラと音を立てながら風になびいていました。二代目社長の福原悠平さんはこう語ります。「創業者で父の昭一は、自分の生まれ育ったふるさとの景色が変わりゆく中で、なんとしても田園風景を守り、未来へとつなげたいと思ったそうです。
そこで、勤めていた会社を退職し、1995年に[フクハラファーム]を設立して専業農家となりました」。創業から一貫して大切にしているのは、安全・安心な農産物を育てることと、農業を通して地域社会へ貢献すること。こうした理念から減農薬・減化学肥料栽培を実施し、約200haの農地の内、3割程度は『滋賀県環境こだわり農産物』認証を取得しています。
随所に光る職人技。素材本来のおいしさを引き出した、毎日でも食べられる自然な味。

環境へのやさしさを追求した『アイガモ農法』。

さらに、20年近く前から『アイガモ農法』に取り組んでいます。これは、5月下旬から7月にかけてアイガモを田んぼに放ち、アイガモを泳がせることで水を濁らせながら雑草の発生を抑え、かつ、アイガモの糞尿を肥料とする栽培方法です。
また、一部の田んぼでは「3年以上継続して農薬と化学肥料を使用しない」などの厳しい基準をクリアした有機JAS認証を取得しています。
こうした自然に寄り添った米作りを行う一方で、最先端技術の導入にも積極的です。ロボットトラクターを導入しているほか、栽培データの収集やAIを使った実証実験など大学との共同研究にも参加し、作業を効率化して人への負担を減らすための努力もしています。
化学肥料を減らすため近隣の畜産農家と連携。地域内での循環型農業を目指す。

化学肥料を減らすため近隣の畜産農家と連携。地域内での循環型農業を目指す。

また、[フクハラファーム]の敷地の付近を車で走っていると、畑の真ん中に小さな土の山のようなものが見えてきます。「近隣の畜産農家から集めた家畜の堆肥の野積みです」と、悠平さん。これらの堆肥を提供してもらいながら土づくりを行うことで化学肥料の使用をおさえ、かつ、地域内での循環型農業へとつなげているのです。
「堆肥は家畜の糞を発酵させて作りますが、匂いが出てしまうことが欠点でもあります。私たちのように広い敷地をもっていて、民家や店舗など人の生活空間と距離を保つことができる生産者だからこそできる取り組みです」と、悠平さんは続けます。自社の強みを活かして地域に密着した米作りを行う。これも、フクハラファームが創業以来大切にしていることの一つだといいます。
父の想いを受け継ぐことが、サステナブルな農業を実現する。

父の想いを受け継ぐことが、サステナブルな農業を実現する。

稲刈りの見学を終え[フクハラファーム]の事務所に戻って来ると、入り口の看板に書かれたこんな言葉に目が留まりました。『美田悠久(びでんゆうきゅう)』。日本の美しい田園=美田を未来永劫悠久につなげていく『守る農業』を実践する、という[フクハラファーム]の理念を表す造語です。
「自然のなかで仕事をする以上、できるだけ環境に負荷を与えないことが重要です。この環境を守らなければ、父が愛した田園風景が消えてしまうだけでなく、将来、必ず自分たちが困ることになる。農薬を極力使わないようにすることが豊かな自然を守り、最終的には自分たちの農業を持続可能なものにすると考えています」と、悠平さん。帰りに琵琶湖線の列車から見えるフクハラファームの田んぼの稲穂が、夕焼けの景色のなかでより一層輝いて見えました。
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