2023/10/11 10:00

日本酒とレモンがつなぐ人と未来。[ナオライ]が目指す、地域活性と伝統技術の継承。

ナオライ
ナオライ
ナオライ
ナオライ
ナオライ
[ナオライ]が拠点を置く三角島(みかどしま)は、広島県呉市に属する安芸灘諸島のひとつです。瀬戸内地域といえば柑橘の産地として有名ですが、この島はレモンの名産地。なかでも[ナオライ]ではオーガニックレモンの生産者と手を組み、『MIKADO LEMON Sparkling lemon sake』や『琥珀浄酎』といった個性的なお酒を生み出しています。
代表取締役の三宅紘一郎さんは、日本酒の文化を守るために[ナオライ]を創業し、現在では三角島と、そこから海を挟んで真向かいにある大崎下島・久比(くび)にレモンガーデンを構えてレモンの栽培にも取り組むようになりました。レモンと日本酒を使った酒造りが、どのようにして『伝統技術の継承』『地方創生』といった社会課題を解決するのか?そして、商品名にもなっている『浄酎』とは?
三宅さんに話を伺うべく、[ナオライ]の手掛けるレモンガーデンを訪ねました。
「酒蔵の廃業を止めたい」。日本酒と関わりの深い一族に生まれたからこそ抱いた危機感。

「酒蔵の廃業を止めたい」。日本酒と関わりの深い一族に生まれたからこそ抱いた危機感。

呉駅から車を走らせること約1時間。青く美しい瀬戸内海を眺めながらいくつもの島を越え、橋を渡ると、大崎下島・久比にたどり着きます。「昔ながらの家屋がそのまま残っていて素敵でしょう」と、三宅さん。無理に都市開発せず、自然と共存する地域の在り方に惹かれて、ここに拠点を構えたといいます。
三宅さんが酒事業を始めたきっかけは、全国各地の古い日本酒蔵が続々と廃業に追い込まれている、その状況に危機感を抱いたことでした。
「親族に日本酒関係者が多く、幼いころから興味を持っていたんです」と、三宅さん。「何百年も時を重ねてきた酒蔵が消滅してしまうのはとてももったいない。ひとつでも多く酒蔵を残し、多様で豊かな日本酒文化を未来に引き継ぎたいと思ったのです」と、続けます。
豊かな土壌をつくり、生命力たぎるレモンを使用する。「皮まで食べられるフレッシュレモン」。

豊かな土壌をつくり、生命力たぎるレモンを使用する。「皮まで食べられるフレッシュレモン」。

日本酒文化の継承と同時に目指したのが、「地域の特産品を酒造りに取り入れ、一次産業に携わる人を増やしていく」ことでした。そこで着目したのが、瀬戸内海を代表する果実であるレモン。良質なレモンのつくり手を探して呉市内の島々を巡り、出会ったのが、三角島のレモン農園でした。
三宅さんは、ここのレモンの弾けるようなおいしさに感動したそう。「手間暇かけて栽培されたレモンは、安心して皮ごと食べられるうえに、香りが強くて味が濃い。このレモンを使い、心身共に健康になるお酒をつくりたいと思いました。また、規格外で市場に流通しにくい果実を買い取ることで、産業の持続に貢献できるはずだと考えたのです」(三宅さん)。
レモンと日本酒をかけ合わせて生まれた『MIKADO LEMON Sparkling lemon sake』。

レモンと日本酒をかけ合わせて生まれた『MIKADO LEMON Sparkling lemon sake』。

現在、[ナオライ]の代表銘柄のひとつとなっているのが、日本酒とレモンの香りをかけ合わせたスパークリングレモン酒『MIKADO LEMON Sparkling lemon sake』(以下、『MIKADO LEMON』)です。
2015年頃からこの商品の開発を進め、それと並行して三角島の一画を開墾して自社農園でのレモンの栽培を始めました。
2017年、遂に『MIKADO LEMON』が完成。その後、三宅さんは『MIKADO LEMON』を30本販売するごとに1本のレモンの木を植樹するシステムを作り、2021年時点で330本の植樹に成功しました。久比・三角島にオーガニックレモンバレーが広がる未来を夢見ています。レモンを消費するだけではなく生産にも取り組み、久比・三角島の自然と人から感謝される酒造りをしたいと思っています」(三宅さん)。
日本酒の価値を再定義する。[ナオライ]の技術力と信念がつまった『琥珀浄酎』。

日本酒の価値を再定義する。[ナオライ]の技術力と信念がつまった『琥珀浄酎』。

次に三宅さんが着手したのが、全国の酒蔵から日本酒を仕入れることでした。『MIKADO LEMON』の原料になるレモンは[ナオライ]でつくっていますが、三宅さんはさらに、「酒蔵の維持・継承に貢献するために、全国から日本酒を仕入れ新しいお酒をつくろう」と考えたのです。この想いを実現させたのが、独自の『低温浄溜』という技術。
各地の酒蔵で醸す純米酒を40℃以下の低温で『浄溜』し、日本酒由来の豊かな香りと風味を残したまま、水分だけを抜いて長期保存に耐えられる『浄酎』という新たな酒にしたのです。
「『浄溜』『浄酎』は、清酒をさらに清らかにする、という意味を込めた当社の造語です」と、三宅さん。「そして『琥珀浄酎』は、日本酒の華やかな味わいを凝縮し、ミカドレモンの皮を漬け込み、さらに木樽で熟成させてバニラ香をまとわせています」。

伝統産業・日本酒と広島の特産品・レモンの魅力を世界へ発信しながら、未来へつなげる。

なぜ、日本酒を『浄溜』させる必要があるのか?その理由を、三宅さんはこう語ります。
「日本酒はアルコール度数が高くないために、一般的には『新鮮であればあるほど価値が高いお酒』として認識されてきました。また、温度管理も徹底しないといけないので、海外への輸出が難しいお酒です。なんとかして日本酒由来の香りや旨みの素晴らしさを海外に広められないかという思いが、『浄酎』開発へとつながったのです」。
『浄酎』は、ウイスキーなどの蒸留酒と同じく、時間が経つほど味がまろやかになり、深みを増します。そして、日本酒がもつ旨みや香りも楽しめる。「日本酒文化を未来に引き継ぎたい」という三宅さんの想いから始まった[ナオライ]の挑戦は、『浄酎』として結実したのです。
全国の酒蔵と連携し日本酒を仕入れ、そして広島のレモン生産者と手を組みながらつくられる[ナオライ]のお酒は、『地方創生』『伝統技術の継承』といった社会の課題を解決する鍵を握っています。「時間とともに浄酎が熟成して味わいに奥行きが生まれるように、[ナオライ]の描く未来は、焦らずとも、ゆっくりじっくり、やがては必ず実現すると確信しています」と、三宅さんは力を込めて語ってくださいました。
関連アイテム
2023/09/13 10:00

海の恵みを、無駄なく、美味しく。

石渡商店
石渡商店
石渡商店
石渡商店
石渡商店
三陸の港町・気仙沼は、ヨシキリザメ、モウカザメ、アオザメなどサメの漁獲量日本一を誇る「サメの町」。古くから、フカヒレに、ちくわにと、サメを活用する文化が受け継がれてきました。1957年創業の[石渡商店]は、当時捨てられてしまっていた小さなヒレも大切に加工し、美味しいフカヒレとして世に送り出したいと設立されました。以来、中国料理の高級食材としてごく一部の人が味わっていただけのフカヒレを、和食店や一般家庭でも楽しめるようにと、バラエティ豊かなフカヒレ商品を生み出してきました。さらに近年は、三陸名産の牡蠣を使ったオイスターソースも評判となっています。
その生産現場を訪ねました。
気仙沼で廃棄されるフカヒレを見過ごせない、という初代の決意。

気仙沼で廃棄されるフカヒレを見過ごせない、という初代の決意。

気仙沼港から車で10分ほどのところにある[石渡商店]の工場では、生のサメのヒレから皮や骨、肉を取り除く『素剥(すむき)』の作業が急ピッチで行われていました。通常、サメには7カ所にヒレがあります。フカヒレの姿煮でイメージされる大きな尾ビレや背ビレ以外にも、小さな腹ビレや尻ビレもあります。
[石渡商店]では大きなヒレだけでなく、そのような小さなヒレも大切に加工しています。そもそも、初代・石渡正男さんは「海の恵みを大切に、食文化を創造する」をテーマに掲げ、この小さなヒレを活用しようと、神奈川から移住してきたそうです。
「大手食品メーカーで研究員をしていた祖父の正男は、気仙沼の港で小さなフカヒレが捨てられていることを知り、それを活かした商品を作りたいと考えて起業したんです」と三代目の代表取締役社長・石渡久師(いしわたひさし)さんは話します。
捨てられてしまっていた食材に、技術を駆使して新たな価値を。

捨てられてしまっていた食材に、技術を駆使して新たな価値を。

創業当時、小さなフカヒレは加工が難しく、価値がないものとして廃棄されていました。初代は技術によってそこに価値を生み出せると強い信念を持っていました。サメの体は、楯鱗(じゅんりん)と呼ばれる非常に硬い鱗で覆われています。その特殊な鱗は象牙質をエナメル質が覆った構成で、歯のように硬く、刃物も跳ね返してしまいます。
正男さんは諦めることなく、試行錯誤の末に、コラーゲンを最大限に留めた独自製法『素剥』を開発し、小さなヒレでも食用に使う方法を確立。この“スムキ”は今では業界用語として使われるほど、一般的な製法となっているそうです。
「フカヒレの処理工程は、機械化できる部分が一切なく、すべてが手作業で行われます。職人技によって1枚1枚とにかく丁寧に。それが、フカヒレ加工の最も大切なポイントです」と石渡さんは、美しい純白に仕上がったフカヒレを見せてくれます。
持続可能な漁業とフードロス解決の努力も全力で。

持続可能な漁業とフードロス解決の努力も全力で。

[石渡商店]では持続可能な海洋資源の活用に力を入れています。気仙沼産のヨシキリザメは持続可能な漁業で獲られたものを厳選。ヒレは全体のわずか10%に過ぎません。ヒレを取ったあとの身は、すり身業者などに無償提供し、良質なグルコサミンやコンドロイチンなどを含む骨は、サプリメントに活用しています。
内臓も加工品になるほか、使えない部分も肥料や飼料になります。捨てるところいえば、先述の楯鱗くらいとのこと。丸ごと無駄なく使い切っているのです。[石渡商店]には一般家庭でも気軽に楽しめるフカヒレ商品がたくさんあります。
『濃縮ふかひれスープ』は高級中華料理店の協力のもと、鶏、豚のガラから旨みを引き出したスープに厳選した調味料で深みを加えた逸品。溶き卵を入れていただくと、より豊かな味わいを楽しめます。また、フカヒレ入りの贅沢なスープの素として、幅広く活用できる使い勝手の良さも評判です。
質は良くなるのに市場価値は下がる。春の生食用牡蠣の真価に光を当てる。

質は良くなるのに市場価値は下がる。春の生食用牡蠣の真価に光を当てる。

フカヒレと並ぶ[石渡商店]の主力商品に『気仙沼完熟牡蠣のオイスターソース』があります。これは「海の恵みを大切に、食文化を創造する」というミッションに立ち返ることで誕生しました。
契機は2011年の東日本大震災。
海辺にあった[石渡商店]は津波ですべてを流され、一からの再建に取り組みます。民間ファンドを活用して資金調達し、山手に工場を新設することができました。その出資者2,600人にアンケートを取ったところ、出資理由の大半が「気仙沼の水産業復興のため」であることがわかったのです。そこで、地域でその価値が見過ごされている水産物の洗い出しを行いました。
宮城県は広島県に次いで牡蠣の生産量全国2位。しかし、そのほとんどが生食用であるため、11月をピークに、産卵を前に栄養をたっぷり蓄えて大粒に育つ春には、品質に見合わない価格になってしまっていました。石渡さんはこの最高の生食用の牡蠣で、漁師と共に今までにない加工品を作ることを決意します。それがオイスターソースだったのです。

大粒に育った『もまれ牡蠣』のみを使用。

気仙沼・唐桑の『もまれ牡蠣』は、季節ごとに潮の流れが速い場所に何度も移動させ、潮にもまれて育ちます。さらに、船上で60度前後のお湯を沸かし、クレーンで吊るした牡蠣を数分浸ける温湯処理を行うのも特徴的です。殻に付いた牡蠣以外の生物をお湯で駆除することで、牡蠣は植物プランクトンを存分に摂取し、大粒で味も濃厚に育つのです。
『気仙沼完熟牡蠣のオイスターソース』は、漁師が手間ひまをかけて育てた3~5月下旬の生食用もまれ牡蠣だけを使用。一般的には牡蠣を煮てエキスを抽出しますが、[石渡商店]では独自特許製法(特開2016-005450)の酵素分解により牡蠣の身をすべてソースに溶け込ませます。ゴミとなる出汁ガラを出さず、栄養はたっぷり。化学調味料や保存料、着色料などの合成添加物を一切使わず、海の恵みをそのまま閉じ込めているのです。炒め物などの調味料に使えば一気にプロの味に。そのまま卓上に置いてディップとして使えば、小粋なパーティメニューにもなります。その際立つ滋味を、ご賞味あれ。。
関連アイテム
2023/07/26 10:00

オーガニック農園へとよみがえった滋賀県山あいの大地で生まれる、おいしく健康的でエシカルな薬草茶。

永源寺マルベリー
永源寺マルベリー
永源寺マルベリー
永源寺マルベリー
過疎化が進む山間部の耕作放棄地を、近畿最大規模の有機薬用農園へとよみがえらせた作り手が滋賀・東近江にいます。その名は[永源寺マルベリー]。マルベリーとは桑(の実)のこと。最初は桑畑を復活させるプロジェクトからはじまった同農園では現在、桑、明日葉(アシタバ)、モリンガをメインに栽培し、オーガニックのハーブ茶や薬草パウダーなどを販売しています。現地を訪れると、そこでは雄大な自然の中で薬用植物がたくましく育ち、それらを愛でる生産者さんたちのにこやかな笑顔がありました。どのようにして[永源寺マルベリー]が生まれ、希少なオーガニック農園となったのでしょうか。生産管理部長の上田長司さんに聞きました。
耕作放棄地を桑畑に転換して農地と地域コミュニティの活性化に挑戦。

耕作放棄地を桑畑に転換して農地と地域コミュニティの活性化に挑戦。

琵琶湖から南東に車で約40分。滋賀県東近江市の永源寺地区は、臨済宗永源寺派の大本山『永源寺』が鎮座する集落です。さらに東部へ行けば、かつて“宇治は茶所、茶は政所(まんどころ)”と茶摘み唄にも歌われた『政所茶』の政所町があり、お茶をはじめとした作物の栽培に適した自然環境が魅力のひとつです。
その一方、生産者の高齢化などによってこれらの田畑が耕作放棄地となっているのも事実。この課題を解決するべく、新たに桑の栽培地として復活させ、2004年に農地と地域の活性化に挑んだのが[永源寺マルベリー]です。創業者のひとりが代表の吉澤克美さん。桑に魅せられた理由は、豊富な薬用成分をもつ作物であること、また山間部での栽培に適していることなどが挙げられます。
随所に光る職人技。素材本来のおいしさを引き出した、毎日でも食べられる自然な味。

不老長寿の妙草と呼ばれる『明日葉』や奇跡のスーパーフードと言われる『モリンガ』も栽培。さらには有機認証も。

上田さんによると、近年は桑の成分について科学的検証が行われ、健康に有効な成分が次々と明らかになってきたそう。中でも桑特有の『1-デオキシノジリマイシン(DNJ)』は血糖値の上昇を抑制する働きがあるとして、注目を集めている成分です。
その後も[永源寺マルベリー]は健康食品の原料生産を主軸とし、2014年からは『不老長寿の妙草』とも呼ばれる明日葉、2018年からは『奇跡のスーパーフード』と呼ばれるモリンガを栽培開始。ほかにもヨモギ、杜仲、ケールなど約10種類の薬用植物を栽培しており、2022年時点での圃場(ほじょう)面積は約10ヘクタールへと拡大しました。また、「世界基準の品質を」との思いから2017年には有機JAS認証を取得するなど、自然の恵みを最大限に生かした、安心のおいしさを届けています。
30~90歳代のメンバーが職場を通じて地域を活性化。有機農法は農福連携と好相性。

30~90歳代のメンバーが職場を通じて地域を活性化。有機農法は農福連携と好相性。

[永源寺マルベリー]の先進性は、地域コミュニティの活性化にもあります。農園で働くメンバーは、地元の高齢者や障がい者の方がほとんどで、中には海外出身の方も。30~90歳代まで、幅広い年齢層の方々が力を合わせて農業を行っています。
有機農法は種まき、除草、収穫などをおもに手作業でおこなうため、専用の機械操作なども不要で、だれでも従事しやすいことが特徴。さらに仲間と一緒に農作業で体を動かすことは心身ともにメリットがあり、有機農法は農福連携(農業×福祉)と好相性なのです。同農園はいまや地域のセカンドステージとして認知されており、圃場(ほじょう)では1942年生まれの吉澤代表のほか、共同創業者でもある1930年生まれの門阪杢平(かどさか もくべい)さんらも元気に働いています。
南国の薬用植物をも栽培可能に。永源寺地区ならではの肥沃な土壌。

南国の薬用植物をも栽培可能に。永源寺地区ならではの肥沃な土壌。

とはいえ、オーガニックの薬用植物を栽培するのは簡単ではなく、この地でなければ実現できなかったと上田さんは言います。というのも、たとえば明日葉は三宅島や八丈島など温暖な地域に自生する植物。また、モリンガはインド発祥といわれ、日本では自生していません。
原産地とは土壌や気候も違う永源寺地区でこれらを育てられる理由は、品種改良のほかに肥沃な土地が関係しているからです。第一に、東部の鈴鹿山脈から流れるミネラル豊富な水の恵み。そのうえ、たくましく育てられた近江牛の発酵牛糞と、栗東で鍛えられたサラブレッドの発酵馬糞が入手可能。こうした地の利によって栄養分に優れた自然堆肥が作られ、植物もスクスクと元気に育つのです。

多様性が求められる今こそ、エシカルな[永源寺マルベリー]の有機薬草茶を。

現在、世界中でSDGs(持続可能な開発目標)が一大テーマとなっていますが、この目標が採択されたのは2015年。それより何年も前から地域の就労環境改善や高齢化に適応する仕組みをつくり、多様性あふれるコミュニティを生み出すとともに、人と自然にやさしい有機農業に取り組んだ[永源寺マルベリー]は、真に先進的な企業といえるかもしれません。
吉澤代表は「自然は大切にしなくちゃね。自然は芸術ですから」と優しく微笑み、上田さんは「これからもいっそう当社の取り組みや商品を知っていただき、アイテムの種類や数も増やしていきたいですね」と力強く語ります。オーガニック栽培やユニバーサル農業への先進的な取り組みで社会課題を解決していく永源寺マルベリー。エシカル(倫理的)な商品とともに、その注目度は今後ますます高まっていくでしょう。
関連アイテム
2023/05/10 10:00

「十勝の味を、ぎゅっと詰め込む」。北海道[木川商店]

「十勝の味を、ぎゅっと詰め込む」。北海道[木川商店]イメージ1
「十勝の味を、ぎゅっと詰め込む」。北海道[木川商店]イメージ2
「十勝の味を、ぎゅっと詰め込む」。北海道[木川商店]イメージ3
「十勝の味を、ぎゅっと詰め込む」。北海道[木川商店]イメージ4
北海道・とかち帯広空港から車を走らせること30分。雄大で美しい田園風景が広がる道を抜けた先の幕別町に、[木川商店]はあります。昭和初期の創業以来、酒類や海産物、農畜産物、乳製品などを取り揃え、町の人々の暮らしを支えている老舗の商店です。
ここで5年ほど前から販売し始めたのが、手作りのコロッケやメンチカツ。「地元・十勝で生産される食材のおいしさを全国に伝えたい」と話すのは、店長の萩原路代さんです。今でこそ[木川商店]のコロッケやメンチカツは全国の百貨店の催事やイベントで販売されるほどの人気商品になりましたが、もとは、萩原さんが趣味で作っていたおかずにすぎなかったといいます。
どのようにして商品化し、全国から注目を集めるまでに成長したのでしょうか。お話を伺いました。
きっかけは、余ったじゃがいも。生産者のお悩みを解決すべく、町のお祭りでコロッケを販売。

きっかけは、余ったじゃがいも。生産者のお悩みを解決すべく、町のお祭りでコロッケを販売。

北海道は言わずと知れたじゃがいもの名産地。生産量は約168万トンと全国一位を誇ります(※農林水産省「令和3年産春植えばれいしょの作付面積、収穫量及び出荷量」)。
その北海道のなかでも特にじゃがいもの生産が盛んな十勝では、ある課題を抱えていました。収穫量に対して販売量が追いつかず、生産者はじゃがいもを持て余してしまっていたのです。
「近所の生産者さんが『たくさんあるから、どうぞ』と大量のじゃがいもを譲ってくださるので、はじめは趣味でコロッケを作っていたんです。特に理由はないけれど、コロッケを作るのが好きなんです」と、萩原さん。あるとき、「町のお祭りで、コロッケを販売してみようか」と思いついたそう。これが、大好評。たくさんじゃがいもを使ってコロッケを販売すれば、生産者さんの力になれるかもしれない。そんな想いから、本格的な商品化への道のりが始まりました。
「『インカのめざめ』とゆり根を使い、十勝の魅力を全国に伝えたい」。地元への愛をコロッケに詰め込む。

「『インカのめざめ』とゆり根を使い、十勝の魅力を全国に伝えたい」。地元への愛をコロッケに詰め込む。

せっかく作るなら、地元・十勝の魅力を詰め込んだ商品にしたい。そこで萩原さんが選んだのが、『インカのめざめ』という品種でした。メークインや男爵に比べて小ぶりで、鮮やかで濃い黄色の果肉が特徴のじゃがいもです。
なんといっても魅力的なのは、その甘さ。熱を加えればさらにこっくりとした甘みと旨みが増します。
「『インカのめざめ』と並んで十勝でたくさん栽培されているのが、ゆり根です」と、萩原さん。「ゆり根も、火を通すと『インカのめざめ』と同じくらいにほっくりと甘くなるので、この二つを掛け合わせてコロッケにしたら最高の味になるのではないかと思いました」。それからは、ひたすら試作を重ねたといいます。
食べて、揚げて、試行錯誤の日々。全国から愛される冷凍コロッケができるまで。

食べて、揚げて、試行錯誤の日々。全国から愛される冷凍コロッケができるまで。

『インカのめざめ』とゆり根の甘く濃厚な味わいを生かすために、材料はこの二つに絞ったそう。もちろん、肉も入れません。また、ゆり根はあえてザクザクと大きめに切って練り込み、コロッケの断面から白い姿が見えるようにしました。
「形を残すことで、見た目が美しくなるだけでなくほっくりとした食感が生きるのです」と、萩原さんのこだわりが伝わってきます。
さらに、お客様が揚げる手間を省くためにサクサクに揚げた状態で急速冷凍します。「オーブンとレンジを並べて試作を繰り返し、どのように温めてもおいしく食べていただけるレシピを考えました」。こうして、温めるだけで簡単に食べられる木川商店の冷凍コロッケ『ゆり根とインカ』が誕生したのです。
食べて、揚げて、試行錯誤の日々。全国から愛される冷凍コロッケができるまで。

コロッケがあるなら、メンチカツも。十勝のブランド豚『どろぶた』の魅力を発信する。

「コロッケの商品化に成功すると、メンチカツも作ってみようという意欲がわいてきました」と、萩原さん。材料に選んだのは、[木川商店]と同じく幕別町に拠点を置く『エルパソ牧場』で放牧されて育ったブランド豚『どろぶた』でした。
放送作家の小山薫堂さんがこの牧場を訪れたとき、豚が自由に走り回り、泥の中でコロコロ転がって遊んでいる様子を見て『どろぶた』と名付けたといいます。
味はというと、ミネラル分やオレイン酸が豊富に含まれており、旨みが濃いのが特徴です。
木川商店ではこうした特徴を生かしながら、サクサクでジューシーな『どろぶたメンチカツ』を開発しました。その後も、長いもやアスパラ、ラクレットチーズなど、十勝の食材を使いながらコロッケ・メンチカツのラインアップを増やし続けています。

趣味で作っていたコロッケから始まった、サステナブルなストーリー。

「持続可能な社会を実現するためには、まず、無理をせずにできることから始めていくことが大切です。なぜならば、無理をしても続かないから」。萩原さんは、生産者が抱えていた課題と、自分の好きなことを上手に結びつけて、食品ロスの削減を実現しています。そんな萩原さんの姿勢には「身近なところからアクションを起こすこと」のヒントが詰まっているようにも感じられます。
「北海道・十勝は畑作や酪農を中心に産業が盛んなエリアです。私たちは採れたて・できたての新鮮な食材を生産者から直接仕入れ、自社で加工・販売しながら地域の活性化に貢献していきたいです」と、萩原さん。彼女を突き動かしているのは、地元への強い愛なのでしょう。
関連アイテム
2023/04/18 09:00

親子3代で紡ぐ、おいしい牛乳をめぐる物語。

ミルク工房そら
ミルク工房そら
ミルク工房そら
ミルク工房そら
ミルク工房そら
京都駅から電車でおよそ3時間。日本海に面し、息をのむような美しい自然に囲まれた京丹後市・久美浜町に[ミルク工房そら]はあります。近畿最北端のこの地に酪農という文化を根付かせ、「酪農王国にしたい」という想いを抱えて創業してから約70数年。今では、たくさんのシェフらからの熱視線を集めるだけでなく、全国各地から人が訪れる工房に。おいしい牛乳を届けるために、創業者の孫である平林学さん一家は、ジャージー牛へ愛情をたっぷり注いでいます。
大量生産、大量消費ではなく、顔が見えるものを届けたい。

大量生産、大量消費ではなく、顔が見えるものを届けたい。

[ミルク工房そら]の前身である『平林乳業株式会社』は、平林学さんの祖父が、終戦から数年経ったある日に1頭のジャージー牛を引き取ったことにはじまりました。さらに小学校の廃屋を譲り受けて手作りの処理場を建て、牛乳屋さんとして出発。牛の世話から、草刈り、田んぼの作業まで、家族で毎日休まず作業したそうです。
経済が発展し、世が大量生産、大量消費の時代に突入する中、2代目にあたる学さんの父・衛さんご夫婦は、そんなただ生産を続ける毎日に疑問を感じ始めます。
「このまま大量生産・大量消費によって生産者の顔が見えないものを作り続けていていいのだろうか。生産者の顔が見える、おいしい牛乳を皆さんに届けたい。牛乳の価値をもっと高めたい」と。この熱意のもと、今から20年ほど前に牧場と同一敷地内に[ミルク工房そら]をオープンさせました。訪れた方に生産者たちのありのままの様子を知ってもらえるだけでなく、搾りたての牛乳をチーズやジェラートなどに加工し、販売できる環境を整えたのです。
大阪でアパレル関係の仕事に就いていた学さんが家業を継ぐために戻ってこられたタイミングで、牛乳を加工したチーズをたっぷりと使用したピザを提供するカフェを併設することになり、より地域の人に愛される場所として進化を遂げています。
愛情を込めて育てることがおいしい牛乳につながっていく。

愛情を込めて育てることがおいしい牛乳につながっていく。

[ミルク工房そら]に隣接する『丹後ジャージー牧場』では、現在40頭のジャージー牛が育てられています。一般的なホルスタイン牛に比べると乳量が少なく、生産効率が悪いと考えられているため、日本ではあまり飼育されていない珍しい品種です。
ただ、ジャージー牛の乳脂肪分は5%、無脂乳固形分は9%と濃厚でβカロテン含量が高いため、おいしい牛乳を届けるためにはジャージー牛はとても大切な存在。「効率ではなく、大事なのは牛乳の味」だと学さんはおっしゃいます。
ここではすべての牛たちを家族の一員として、愛情を持って育てています。自然に近い環境で極力ストレスがかからないよう考慮するだけではなく、一頭一頭のエサをチェックし、体調管理も欠かせません。「この子たちも、わたしたちの家族。だから名前もつけてかわいがっているんです」
「家族の一員である牛たちから生まれた牛乳は大切な宝。それらを無駄にせず、より価値の高いものに生まれ変わらせて還元したいという気持ちで、[ミルク工房そら]で、ジェラート、ミルクジャム、チーズなどに加工しています」。
「宝である牛乳を一滴も無駄にしたくない」。牛乳をより価値のあるものへ。

「宝である牛乳を一滴も無駄にしたくない」。牛乳をより価値のあるものへ。

「牛乳はなまものなので日持ちがしません。一番おいしい搾りたての状態を飲んでもらいたいと願っても、全国にお届けするのは難しい。牛乳を一滴も無駄にしたくない、そして牛乳の新たな魅力を知ってもらいたいという想いを込めて、毎朝搾りたての牛乳を使って、工房ではさまざまな加工品を作っています」。
工房を訪れる人たちが必ずといっていいほど注文するのが、余計なものを一切加えずに作る『ジェラート』。ミルク味は、よりダイレクトに自慢の牛乳の味を感じて欲しいから、牛乳、生クリーム、砂糖しか使っていないという徹底ぶりです。
いちごや抹茶など、地元京丹後の食材を組み合わせたものも大人気。お店にはおよそ10種類ほどのフレーバーがあり、季節限定品や新製品も続々登場するそう。「一緒に働いているメンバーからアイデアをもらうことが多いです。地元の特産物と、我々の牛乳がうまくマッチするようなレシピを考えてくれるので頼りにしています」。
『ミルクジャム』は、工房のロングセラー商品。搾りたての牛乳を6時間以上混ぜながら加熱し、なめらかなキャラメルクリームのようにしていきます。「加熱しすぎると分離してしまうので、職人さんの見極めが必要なんです」。
牛乳というすばらしい素材にあぐらをかくことなく、職人さんたちの妥協を許さない心を集結させて、商品を作り続けています。
「京丹後の生産者さんたちと関係を深め、ストーリーのあるものを作っていきたい」。

「京丹後の生産者さんたちと関係を深め、ストーリーのあるものを作っていきたい」。

かつては、酪農という仕事や、この京丹後が嫌いだった学さん。「どこにいっても牧場の息子としてみられるし、田舎ですしね(笑)。地元が嫌で、“真逆なことがしたい”と、家業とは全く異なる仕事に就いたんです。でも、野生の牛が歩いているようなイタリアの田舎町を旅した際、その土地で採れた食材を使った料理を食べて感動していたら、故郷の風景が目に浮かんできたんですよ。
豊かな自然に恵まれておいしい食材の宝庫である京丹後でも、このような体験ができるんじゃないかって。うちのチーズや地元の食材を、料理人に調理してもらえたら、より地元が盛り上がるんじゃないかと」。
京丹後に戻り、家業を継ぐことになった学さんは、イタリアンやフレンチのシェフ、農家さんなど地元で活動する方々と交流を深め、知見を広げていきます。「同世代の方も多く、刺激になりますよ。例えば、うちのチーズに合うナチュラルワインや、ジェラートに合う野菜や果物を教えてもらうと今まで以上に牛たちへの愛情も深まっていきますし、一緒に働いている工房のメンバーへの尊敬の気持ちも強くなります。同じような感度の人と出会えたから、故郷を好きになれたんだと思います」。
「地元が嫌いで飛び出した過去があるからこそ、今後はもっと京丹後で暮らす自分たちにしかできないようなものを生み出して発信していきたいですね。大量生産はできないけれど、よいものを作って、届けるべき相手にきちんと届けたい。それが、自分の使命だと感じています」。
関連アイテム
2023/04/18 09:00

「一関と東京を、食で繋ぐ」。名店[格之進]に貫かれる地元愛。

「「一関と東京を、食で繋ぐ」。名店[格之進]に貫かれる地元愛。イメージ1
「一関と東京を、食で繋ぐ」。名店[格之進]に貫かれる地元愛。イメージ2
「一関と東京を、食で繋ぐ」。名店[格之進]に貫かれる地元愛。イメージ3
「一関と東京を、食で繋ぐ」。名店[格之進]に貫かれる地元愛。イメージ4
六本木や渋谷、丸の内など食の激戦区で人気を集め、存在感を発揮し続ける熟成肉の店[格之進]。グループを率いる千葉祐士(ちば ますお)さんは、メディアでもおなじみの名物社長です。
そして少しお話しするだけでもわかりますが、千葉さんの肉への愛情と知識は圧倒的で、まるで肉の生き字引。しかし、それでも博士や伝道師でなく、あえて“肉おじさん”と名乗るのは、「皆様と一緒に肉の世界を盛り上げていきたい」との想いからだそうです。そして、肉への愛とともに千葉さんの根底を支えるもうひとつの信念が、地元・岩手への愛。
はたして千葉さんと[格之進]は、どんな想いで肉と向き合い、どんなこだわりで肉を扱っているのでしょうか。その秘密を探るため[格之進]の本拠地である岩手県一関市を訪れました。
拠点は、廃校になった小学校。この校舎から新たな賑わいが生まれることが「地域への恩返し」

拠点は、廃校になった小学校。この校舎から新たな賑わいが生まれることが「地域への恩返し」

一ノ関駅からタクシーに乗って30分ほど。教えていただいた[格之進]の本社兼工場を見て、驚きました。それはどこからどうみても学校。校庭があり、体育館があり、昇降口がある、小学校そのままの姿だったのです。実はこここそが[格之進]の本拠地。
2013年、統合のため廃校となった門崎小学校を、本社として利用しているのです。
「地元への恩返し」千葉さんはそう語ります。
千葉さんの父親も、千葉さん自身も、そして千葉さんの子どもたちも、皆この学校の卒業生。母校であり、地域の象徴であるこの学校が閉鎖され、ただ朽ちていくよりも、[格之進]の基地として新たな賑わいの拠点としたい。そんな想いが込められた革新的な挑戦です。
かつての体育館をまるごと工場にリニューアル。型破りな挑戦でハンバーグ作りに挑む。

かつての体育館をまるごと工場にリニューアル。型破りな挑戦でハンバーグ作りに挑む。

熟成肉と並ぶ[格之進]の看板商品・ハンバーグ。そのハンバーグもまた、この小学校跡で作られています。
工場は校舎左手にある旧体育館。今回は特別に工場の中を見学させていただきました。外から見ると体育館ですが、その中は先進的な工場。衛生管理や温度管理が徹底され、こだわりのハンバーグが作られています。
「さまざまな機械を導入していますが、実は味を決めるのは人の舌。従業員が毎日必ず試食をして細かな調整をします」とは工場責任者の松橋孝幸さん。ちなみに従業員の皆さんが着る白衣は、地元のクリーニング店に洗濯を依頼しているそう。手洗いと手掛けアイロンにこだわる昔ながらのクリーニング店。ここにも「地元に貢献したい」という千葉さんの想いが表れています。
「伝えたいのは、肉の味」。「格之進」のハンバーグが、人気を集める理由。

「伝えたいのは、肉の味」。
[格之進]のハンバーグが、人気を集める理由。

1日1万個。それがこの工場で作られるハンバーグの数です。これほど多くの人を惹きつけるハンバーグの魅力は、いったいどこにあるのでしょうか?
「一般的なプロダクトは、ブレのない均一な味を目指します。しかし私達が目指すのは生産者が心を込めて生産した食材をそのまま消費者に伝えることです」千葉さんはそうおっしゃいます。
脂の溶ける温度が異なる肉をブレンドして口溶けをコントロールすること、こだわりの塩麹で旨みを引き出すことなど、おいしさの秘密はいろいろ。しかしそれ以上に、千葉さんが信頼を寄せる岩手県の生産者の存在が、[格之進]のハンバーグを唯一無二のものにしているのでしょう。
味の決め手は、岩手産の厳選素材で仕込むオール岩手の塩麹。

味の決め手は、岩手産の厳選素材で仕込むオール岩手の塩麹。

ハンバーグの味の決め手は、肉のタンパク質や糖質をアミノ酸に分解し、旨みを引き出す塩麹。[格之進]のハンバーグに使われる自家製塩麹も、岩手産の原料から作られています。
三陸野田産の天然塩「のだ塩」、岩手初のオリジナル麹菌「黎明平泉(れいめいひらいずみ)」、そして門崎地区のメダカが泳ぐ田んぼで作られる「めだか米」。オール岩手産原料で作られた塩麹なのです。
この日、千葉さんが案内してくれたのは、収穫を間近に控えた「めだか米」の田んぼ。張り巡らされた水路には、暖かい時期になると絶滅危惧種のミナミメダカが泳ぐのです。繊細なメダカが泳ぐほどの環境なら、もちろん人の体にも安心安全。夏にはホタルもやってくる自然豊かな田んぼは、岩手の恵まれた自然の象徴です。

岩手の魅力を、東京に、世界に発信。地元への想いが、サステナブルに繋がる。

「良い肉を、より良い形でお客様に届ける。すると生産者は“もっと良いものを作ろう”となる。その循環が地元のため、そしてお客様のためになっているのです」取材の終わりに千葉さんはそう話しました。
千葉さんが話すのは、岩手のこと、生産者のこと、お客様のこと。「誰かのため」という想いが巡り巡って、[格之進]の熟成肉やハンバーグをおいしくしているのです。近年の国際情勢による穀物価格の高騰やコロナ禍での消費減少など、生産者に逆風が吹く時代。
「島国日本のサステナブルとは、船や飛行機で遠くから運んでくるのではなく、地元に目を向けてそこにあるものを大切に使うこと。それは日本の昔の姿。無いものを作るのではなく、かつてあったものを蘇らせることです」。SDGsが注目されるずっと前から、岩手・一関でそれを実践していた千葉さんの言葉には、強い説得力がありました。
関連アイテム

ワコール公式通販

もっとみる