2023/11/01 10:00

「1匹丸ごと、余すことなく使い切る」。[佐藤水産]が守り抜く鮭への情熱。

[佐藤水産]が守り抜く鮭への情熱。イメージ1
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北海道・札幌市を本拠地とする[佐藤水産]は、高品質な水産加工品の製造、販売を行う企業です。新千歳空港や羽田空港内の店舗で、その商品を手に取ったことがある方も多いのではないでしょうか。かに、ほたて、ししゃも、数の子をふんだんに使った松前漬けや瓶詰め、乾物などの加工品は、どれも食通も唸るほどの絶品です。
そんな[佐藤水産]の原点は、北海道産天然鮭。代名詞とも言える『鮭ルイベ漬』は発売から20年以上が経つ今も一番人気の商品です。鮭本来の旨み引き出したとろけるような味わいに、加工品とは思えないほどぎゅっと詰まった肉厚な食感が魅力のこの商品は、どのようにして生み出されるのでしょうか。
おいしさの理由を解明すべく、石狩サーモンファクトリーを訪ねました。
石狩漁港で水揚げした秋鮭を、素早く、おいしく加工。

石狩漁港で水揚げした秋鮭を、素早く、おいしく加工。

札幌駅から車で約20分。石狩大橋を渡ると、石狩サーモンファクトリーが見えてきました。案内してくださった佐藤水産営業部 副部長の方川 由美子さんは「石狩漁港から5分とかからない立地に工場を設けることで、水揚げしたばかりの秋鮭を新鮮なうちに製造加工できる」といいます。
実際に工場内を見学させていただき、納得しました。
新鮮なおいしさをそのまま商品にするために、一気に何通りもの加工作業が行われていたのです。
まず、漁港から運ばれたばかりのピチピチの鮭を大量にざざざっとラインに流し、機械で頭を切り落とした後は、順々に解体しながら用途別に枝分かれしていきます。その後は、臓を水できれいに洗い流している人、筋子をほぐしている人、重さ別にふるい分けた鮭の身を急速冷凍庫へ速やかに運んでいる人と、一つの部屋の中でさまざまな作業がテキパキとこなされていました。
随所に光る職人技。素材本来のおいしさを引き出した、毎日でも食べられる自然な味。

随所に光る職人技。素材本来のおいしさを引き出した、毎日でも食べられる自然な味。

石狩サーモンファクトリーではいくらの加工も行っており、いくらに触れただけで塩の浸透度合いがわかるような職人技をもつ従業員も働いています。
「塩水に浸りすぎても、逆に浸かり方があまくても、最高の状態は引き出せません。熟練の従業員だからこそ、いくらを塩水から引き上げる頃合いを見極められるのです」と方川さん。
鮭には個体差があり、かつ、その日の気温によっても塩の浸透は左右されます。機械や、画一化されたマニュアルだけでは行き届かない部分に職人の技を加えることで、完成された味へと導いているのです。こうして丁寧に処理されたいくらは、いくら単体で販売されます。
少しも無駄にしない。受け継がれる創業者の想い。

少しも無駄にしない。受け継がれる創業者の想い。

工場内を歩き、さまざまな商品の加工工程を見るうちに、おいしさの秘密のみならず、[佐藤水産]の鮭に対する並々ならぬ情熱もわかってきました。
「石狩川の恵みである鮭に感謝し、1匹余すことなく使い切る」。
創業者・佐藤三男さんのこの信念を貫くため、[佐藤水産]では長い年月をかけて研究・開発が続けられてきたといいます。
2008年に誕生した『鮭醤油』は、そんな強い想いが結実した商品。これにより、それまでは廃棄されていた鮭のアラなどの部位も使い切れるようになったそう。
鮭の一生を理解し、感謝の気持ちを育む。

鮭の一生を理解し、感謝の気持ちを育む。

ところで、鮭は生まれた川に必ず戻る習性があることで有名ですが、[佐藤水産]ではそうした鮭の一生をより身近に感じるためにも、毎年春に『稚魚放流式』を行っているそう。北海道で放流された鮭は、オホーツク海やベーリング海を回遊すると言われています。そして、厳しい環境を生き抜いたわずか数パーセントの鮭だけが、生まれた(放流された)川に戻ってきます。
「そうした長い道のりに思いを馳せることで、故郷に帰ってきた鮭に対して感謝と畏敬の念が生まれますし、少しも無駄にすることなく、美味しい商品にしてお客様に届けようという想いが増します」と、方川さん。さらに「実は、年々、鮭の漁獲量が減っています。
さまざまな理由が考えられますが、私たちがまずできることは、本当に必要な分だけを仕入れて、無駄を出さずに使い切ることだと考えています」と、環境への配慮も語ってくれました。

当たり前のように取り組んでいたことが、SDGsにつながった。

「創業者の“もったいない精神”が、鮭を一本丸ごと無駄にせずに商品化するための努力につながり、それが時代の変化とともにサステナブルな取り組みとして評価されるようになっていました」と、方川さん。実は20~30年前から、[佐藤水産]ではそうとは意識せずともサステナブルなアクションを起こしていたのです。その根底に流れるのは、鮭への感謝の気持ちです。
「すべてはおいしい鮭のために」。
[佐藤水産]のこの信念が、私たちの食卓においしい水産加工品を届けてくれると同時に、未来へとつながる食のあり方を実現してくれているのですね。
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2023/10/11 10:00

日本酒とレモンがつなぐ人と未来。[ナオライ]が目指す、地域活性と伝統技術の継承。

ナオライ
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ナオライ
ナオライ
[ナオライ]が拠点を置く三角島(みかどしま)は、広島県呉市に属する安芸灘諸島のひとつです。瀬戸内地域といえば柑橘の産地として有名ですが、この島はレモンの名産地。なかでも[ナオライ]ではオーガニックレモンの生産者と手を組み、『MIKADO LEMON Sparkling lemon sake』や『琥珀浄酎』といった個性的なお酒を生み出しています。
代表取締役の三宅紘一郎さんは、日本酒の文化を守るために[ナオライ]を創業し、現在では三角島と、そこから海を挟んで真向かいにある大崎下島・久比(くび)にレモンガーデンを構えてレモンの栽培にも取り組むようになりました。レモンと日本酒を使った酒造りが、どのようにして『伝統技術の継承』『地方創生』といった社会課題を解決するのか?そして、商品名にもなっている『浄酎』とは?
三宅さんに話を伺うべく、[ナオライ]の手掛けるレモンガーデンを訪ねました。
「酒蔵の廃業を止めたい」。日本酒と関わりの深い一族に生まれたからこそ抱いた危機感。

「酒蔵の廃業を止めたい」。日本酒と関わりの深い一族に生まれたからこそ抱いた危機感。

呉駅から車を走らせること約1時間。青く美しい瀬戸内海を眺めながらいくつもの島を越え、橋を渡ると、大崎下島・久比にたどり着きます。「昔ながらの家屋がそのまま残っていて素敵でしょう」と、三宅さん。無理に都市開発せず、自然と共存する地域の在り方に惹かれて、ここに拠点を構えたといいます。
三宅さんが酒事業を始めたきっかけは、全国各地の古い日本酒蔵が続々と廃業に追い込まれている、その状況に危機感を抱いたことでした。
「親族に日本酒関係者が多く、幼いころから興味を持っていたんです」と、三宅さん。「何百年も時を重ねてきた酒蔵が消滅してしまうのはとてももったいない。ひとつでも多く酒蔵を残し、多様で豊かな日本酒文化を未来に引き継ぎたいと思ったのです」と、続けます。
豊かな土壌をつくり、生命力たぎるレモンを使用する。「皮まで食べられるフレッシュレモン」。

豊かな土壌をつくり、生命力たぎるレモンを使用する。「皮まで食べられるフレッシュレモン」。

日本酒文化の継承と同時に目指したのが、「地域の特産品を酒造りに取り入れ、一次産業に携わる人を増やしていく」ことでした。そこで着目したのが、瀬戸内海を代表する果実であるレモン。良質なレモンのつくり手を探して呉市内の島々を巡り、出会ったのが、三角島のレモン農園でした。
三宅さんは、ここのレモンの弾けるようなおいしさに感動したそう。「手間暇かけて栽培されたレモンは、安心して皮ごと食べられるうえに、香りが強くて味が濃い。このレモンを使い、心身共に健康になるお酒をつくりたいと思いました。また、規格外で市場に流通しにくい果実を買い取ることで、産業の持続に貢献できるはずだと考えたのです」(三宅さん)。
レモンと日本酒をかけ合わせて生まれた『MIKADO LEMON Sparkling lemon sake』。

レモンと日本酒をかけ合わせて生まれた『MIKADO LEMON Sparkling lemon sake』。

現在、[ナオライ]の代表銘柄のひとつとなっているのが、日本酒とレモンの香りをかけ合わせたスパークリングレモン酒『MIKADO LEMON Sparkling lemon sake』(以下、『MIKADO LEMON』)です。
2015年頃からこの商品の開発を進め、それと並行して三角島の一画を開墾して自社農園でのレモンの栽培を始めました。
2017年、遂に『MIKADO LEMON』が完成。その後、三宅さんは『MIKADO LEMON』を30本販売するごとに1本のレモンの木を植樹するシステムを作り、2021年時点で330本の植樹に成功しました。久比・三角島にオーガニックレモンバレーが広がる未来を夢見ています。レモンを消費するだけではなく生産にも取り組み、久比・三角島の自然と人から感謝される酒造りをしたいと思っています」(三宅さん)。
日本酒の価値を再定義する。[ナオライ]の技術力と信念がつまった『琥珀浄酎』。

日本酒の価値を再定義する。[ナオライ]の技術力と信念がつまった『琥珀浄酎』。

次に三宅さんが着手したのが、全国の酒蔵から日本酒を仕入れることでした。『MIKADO LEMON』の原料になるレモンは[ナオライ]でつくっていますが、三宅さんはさらに、「酒蔵の維持・継承に貢献するために、全国から日本酒を仕入れ新しいお酒をつくろう」と考えたのです。この想いを実現させたのが、独自の『低温浄溜』という技術。
各地の酒蔵で醸す純米酒を40℃以下の低温で『浄溜』し、日本酒由来の豊かな香りと風味を残したまま、水分だけを抜いて長期保存に耐えられる『浄酎』という新たな酒にしたのです。
「『浄溜』『浄酎』は、清酒をさらに清らかにする、という意味を込めた当社の造語です」と、三宅さん。「そして『琥珀浄酎』は、日本酒の華やかな味わいを凝縮し、ミカドレモンの皮を漬け込み、さらに木樽で熟成させてバニラ香をまとわせています」。

伝統産業・日本酒と広島の特産品・レモンの魅力を世界へ発信しながら、未来へつなげる。

なぜ、日本酒を『浄溜』させる必要があるのか?その理由を、三宅さんはこう語ります。
「日本酒はアルコール度数が高くないために、一般的には『新鮮であればあるほど価値が高いお酒』として認識されてきました。また、温度管理も徹底しないといけないので、海外への輸出が難しいお酒です。なんとかして日本酒由来の香りや旨みの素晴らしさを海外に広められないかという思いが、『浄酎』開発へとつながったのです」。
『浄酎』は、ウイスキーなどの蒸留酒と同じく、時間が経つほど味がまろやかになり、深みを増します。そして、日本酒がもつ旨みや香りも楽しめる。「日本酒文化を未来に引き継ぎたい」という三宅さんの想いから始まった[ナオライ]の挑戦は、『浄酎』として結実したのです。
全国の酒蔵と連携し日本酒を仕入れ、そして広島のレモン生産者と手を組みながらつくられる[ナオライ]のお酒は、『地方創生』『伝統技術の継承』といった社会の課題を解決する鍵を握っています。「時間とともに浄酎が熟成して味わいに奥行きが生まれるように、[ナオライ]の描く未来は、焦らずとも、ゆっくりじっくり、やがては必ず実現すると確信しています」と、三宅さんは力を込めて語ってくださいました。
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2023/09/13 10:00

海の恵みを、無駄なく、美味しく。

石渡商店
石渡商店
石渡商店
石渡商店
石渡商店
三陸の港町・気仙沼は、ヨシキリザメ、モウカザメ、アオザメなどサメの漁獲量日本一を誇る「サメの町」。古くから、フカヒレに、ちくわにと、サメを活用する文化が受け継がれてきました。1957年創業の[石渡商店]は、当時捨てられてしまっていた小さなヒレも大切に加工し、美味しいフカヒレとして世に送り出したいと設立されました。以来、中国料理の高級食材としてごく一部の人が味わっていただけのフカヒレを、和食店や一般家庭でも楽しめるようにと、バラエティ豊かなフカヒレ商品を生み出してきました。さらに近年は、三陸名産の牡蠣を使ったオイスターソースも評判となっています。
その生産現場を訪ねました。
気仙沼で廃棄されるフカヒレを見過ごせない、という初代の決意。

気仙沼で廃棄されるフカヒレを見過ごせない、という初代の決意。

気仙沼港から車で10分ほどのところにある[石渡商店]の工場では、生のサメのヒレから皮や骨、肉を取り除く『素剥(すむき)』の作業が急ピッチで行われていました。通常、サメには7カ所にヒレがあります。フカヒレの姿煮でイメージされる大きな尾ビレや背ビレ以外にも、小さな腹ビレや尻ビレもあります。
[石渡商店]では大きなヒレだけでなく、そのような小さなヒレも大切に加工しています。そもそも、初代・石渡正男さんは「海の恵みを大切に、食文化を創造する」をテーマに掲げ、この小さなヒレを活用しようと、神奈川から移住してきたそうです。
「大手食品メーカーで研究員をしていた祖父の正男は、気仙沼の港で小さなフカヒレが捨てられていることを知り、それを活かした商品を作りたいと考えて起業したんです」と三代目の代表取締役社長・石渡久師(いしわたひさし)さんは話します。
捨てられてしまっていた食材に、技術を駆使して新たな価値を。

捨てられてしまっていた食材に、技術を駆使して新たな価値を。

創業当時、小さなフカヒレは加工が難しく、価値がないものとして廃棄されていました。初代は技術によってそこに価値を生み出せると強い信念を持っていました。サメの体は、楯鱗(じゅんりん)と呼ばれる非常に硬い鱗で覆われています。その特殊な鱗は象牙質をエナメル質が覆った構成で、歯のように硬く、刃物も跳ね返してしまいます。
正男さんは諦めることなく、試行錯誤の末に、コラーゲンを最大限に留めた独自製法『素剥』を開発し、小さなヒレでも食用に使う方法を確立。この“スムキ”は今では業界用語として使われるほど、一般的な製法となっているそうです。
「フカヒレの処理工程は、機械化できる部分が一切なく、すべてが手作業で行われます。職人技によって1枚1枚とにかく丁寧に。それが、フカヒレ加工の最も大切なポイントです」と石渡さんは、美しい純白に仕上がったフカヒレを見せてくれます。
持続可能な漁業とフードロス解決の努力も全力で。

持続可能な漁業とフードロス解決の努力も全力で。

[石渡商店]では持続可能な海洋資源の活用に力を入れています。気仙沼産のヨシキリザメは持続可能な漁業で獲られたものを厳選。ヒレは全体のわずか10%に過ぎません。ヒレを取ったあとの身は、すり身業者などに無償提供し、良質なグルコサミンやコンドロイチンなどを含む骨は、サプリメントに活用しています。
内臓も加工品になるほか、使えない部分も肥料や飼料になります。捨てるところいえば、先述の楯鱗くらいとのこと。丸ごと無駄なく使い切っているのです。[石渡商店]には一般家庭でも気軽に楽しめるフカヒレ商品がたくさんあります。
『濃縮ふかひれスープ』は高級中華料理店の協力のもと、鶏、豚のガラから旨みを引き出したスープに厳選した調味料で深みを加えた逸品。溶き卵を入れていただくと、より豊かな味わいを楽しめます。また、フカヒレ入りの贅沢なスープの素として、幅広く活用できる使い勝手の良さも評判です。
質は良くなるのに市場価値は下がる。春の生食用牡蠣の真価に光を当てる。

質は良くなるのに市場価値は下がる。春の生食用牡蠣の真価に光を当てる。

フカヒレと並ぶ[石渡商店]の主力商品に『気仙沼完熟牡蠣のオイスターソース』があります。これは「海の恵みを大切に、食文化を創造する」というミッションに立ち返ることで誕生しました。
契機は2011年の東日本大震災。
海辺にあった[石渡商店]は津波ですべてを流され、一からの再建に取り組みます。民間ファンドを活用して資金調達し、山手に工場を新設することができました。その出資者2,600人にアンケートを取ったところ、出資理由の大半が「気仙沼の水産業復興のため」であることがわかったのです。そこで、地域でその価値が見過ごされている水産物の洗い出しを行いました。
宮城県は広島県に次いで牡蠣の生産量全国2位。しかし、そのほとんどが生食用であるため、11月をピークに、産卵を前に栄養をたっぷり蓄えて大粒に育つ春には、品質に見合わない価格になってしまっていました。石渡さんはこの最高の生食用の牡蠣で、漁師と共に今までにない加工品を作ることを決意します。それがオイスターソースだったのです。

大粒に育った『もまれ牡蠣』のみを使用。

気仙沼・唐桑の『もまれ牡蠣』は、季節ごとに潮の流れが速い場所に何度も移動させ、潮にもまれて育ちます。さらに、船上で60度前後のお湯を沸かし、クレーンで吊るした牡蠣を数分浸ける温湯処理を行うのも特徴的です。殻に付いた牡蠣以外の生物をお湯で駆除することで、牡蠣は植物プランクトンを存分に摂取し、大粒で味も濃厚に育つのです。
『気仙沼完熟牡蠣のオイスターソース』は、漁師が手間ひまをかけて育てた3~5月下旬の生食用もまれ牡蠣だけを使用。一般的には牡蠣を煮てエキスを抽出しますが、[石渡商店]では独自特許製法(特開2016-005450)の酵素分解により牡蠣の身をすべてソースに溶け込ませます。ゴミとなる出汁ガラを出さず、栄養はたっぷり。化学調味料や保存料、着色料などの合成添加物を一切使わず、海の恵みをそのまま閉じ込めているのです。炒め物などの調味料に使えば一気にプロの味に。そのまま卓上に置いてディップとして使えば、小粋なパーティメニューにもなります。その際立つ滋味を、ご賞味あれ。。
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2023/07/26 10:00

オーガニック農園へとよみがえった滋賀県山あいの大地で生まれる、おいしく健康的でエシカルな薬草茶。

永源寺マルベリー
永源寺マルベリー
永源寺マルベリー
永源寺マルベリー
過疎化が進む山間部の耕作放棄地を、近畿最大規模の有機薬用農園へとよみがえらせた作り手が滋賀・東近江にいます。その名は[永源寺マルベリー]。マルベリーとは桑(の実)のこと。最初は桑畑を復活させるプロジェクトからはじまった同農園では現在、桑、明日葉(アシタバ)、モリンガをメインに栽培し、オーガニックのハーブ茶や薬草パウダーなどを販売しています。現地を訪れると、そこでは雄大な自然の中で薬用植物がたくましく育ち、それらを愛でる生産者さんたちのにこやかな笑顔がありました。どのようにして[永源寺マルベリー]が生まれ、希少なオーガニック農園となったのでしょうか。生産管理部長の上田長司さんに聞きました。
耕作放棄地を桑畑に転換して農地と地域コミュニティの活性化に挑戦。

耕作放棄地を桑畑に転換して農地と地域コミュニティの活性化に挑戦。

琵琶湖から南東に車で約40分。滋賀県東近江市の永源寺地区は、臨済宗永源寺派の大本山『永源寺』が鎮座する集落です。さらに東部へ行けば、かつて“宇治は茶所、茶は政所(まんどころ)”と茶摘み唄にも歌われた『政所茶』の政所町があり、お茶をはじめとした作物の栽培に適した自然環境が魅力のひとつです。
その一方、生産者の高齢化などによってこれらの田畑が耕作放棄地となっているのも事実。この課題を解決するべく、新たに桑の栽培地として復活させ、2004年に農地と地域の活性化に挑んだのが[永源寺マルベリー]です。創業者のひとりが代表の吉澤克美さん。桑に魅せられた理由は、豊富な薬用成分をもつ作物であること、また山間部での栽培に適していることなどが挙げられます。
随所に光る職人技。素材本来のおいしさを引き出した、毎日でも食べられる自然な味。

不老長寿の妙草と呼ばれる『明日葉』や奇跡のスーパーフードと言われる『モリンガ』も栽培。さらには有機認証も。

上田さんによると、近年は桑の成分について科学的検証が行われ、健康に有効な成分が次々と明らかになってきたそう。中でも桑特有の『1-デオキシノジリマイシン(DNJ)』は血糖値の上昇を抑制する働きがあるとして、注目を集めている成分です。
その後も[永源寺マルベリー]は健康食品の原料生産を主軸とし、2014年からは『不老長寿の妙草』とも呼ばれる明日葉、2018年からは『奇跡のスーパーフード』と呼ばれるモリンガを栽培開始。ほかにもヨモギ、杜仲、ケールなど約10種類の薬用植物を栽培しており、2022年時点での圃場(ほじょう)面積は約10ヘクタールへと拡大しました。また、「世界基準の品質を」との思いから2017年には有機JAS認証を取得するなど、自然の恵みを最大限に生かした、安心のおいしさを届けています。
30~90歳代のメンバーが職場を通じて地域を活性化。有機農法は農福連携と好相性。

30~90歳代のメンバーが職場を通じて地域を活性化。有機農法は農福連携と好相性。

[永源寺マルベリー]の先進性は、地域コミュニティの活性化にもあります。農園で働くメンバーは、地元の高齢者や障がい者の方がほとんどで、中には海外出身の方も。30~90歳代まで、幅広い年齢層の方々が力を合わせて農業を行っています。
有機農法は種まき、除草、収穫などをおもに手作業でおこなうため、専用の機械操作なども不要で、だれでも従事しやすいことが特徴。さらに仲間と一緒に農作業で体を動かすことは心身ともにメリットがあり、有機農法は農福連携(農業×福祉)と好相性なのです。同農園はいまや地域のセカンドステージとして認知されており、圃場(ほじょう)では1942年生まれの吉澤代表のほか、共同創業者でもある1930年生まれの門阪杢平(かどさか もくべい)さんらも元気に働いています。
南国の薬用植物をも栽培可能に。永源寺地区ならではの肥沃な土壌。

南国の薬用植物をも栽培可能に。永源寺地区ならではの肥沃な土壌。

とはいえ、オーガニックの薬用植物を栽培するのは簡単ではなく、この地でなければ実現できなかったと上田さんは言います。というのも、たとえば明日葉は三宅島や八丈島など温暖な地域に自生する植物。また、モリンガはインド発祥といわれ、日本では自生していません。
原産地とは土壌や気候も違う永源寺地区でこれらを育てられる理由は、品種改良のほかに肥沃な土地が関係しているからです。第一に、東部の鈴鹿山脈から流れるミネラル豊富な水の恵み。そのうえ、たくましく育てられた近江牛の発酵牛糞と、栗東で鍛えられたサラブレッドの発酵馬糞が入手可能。こうした地の利によって栄養分に優れた自然堆肥が作られ、植物もスクスクと元気に育つのです。

多様性が求められる今こそ、エシカルな[永源寺マルベリー]の有機薬草茶を。

現在、世界中でSDGs(持続可能な開発目標)が一大テーマとなっていますが、この目標が採択されたのは2015年。それより何年も前から地域の就労環境改善や高齢化に適応する仕組みをつくり、多様性あふれるコミュニティを生み出すとともに、人と自然にやさしい有機農業に取り組んだ[永源寺マルベリー]は、真に先進的な企業といえるかもしれません。
吉澤代表は「自然は大切にしなくちゃね。自然は芸術ですから」と優しく微笑み、上田さんは「これからもいっそう当社の取り組みや商品を知っていただき、アイテムの種類や数も増やしていきたいですね」と力強く語ります。オーガニック栽培やユニバーサル農業への先進的な取り組みで社会課題を解決していく永源寺マルベリー。エシカル(倫理的)な商品とともに、その注目度は今後ますます高まっていくでしょう。
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2023/06/07 10:00

『自然栽培』と素材の力で世界を変えていく

パラダイスビアファクトリー
パラダイスビアファクトリー
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2000年以上の歴史を持つ、鹿島神宮のお膝元で、自家製の麦芽からビールづくりを続ける、[パラダイス・ビア・ファクトリー]の唐澤秀(からさわしゅう)さん。日本はもちろん世界を探してもほとんどないという”農家さんがつくるビール”を生み出しました。誰も挑戦していない未知なるものを恐れず、自ら信じた道へ突き進む唐澤さん。この原動力には『自然栽培』がありました。
※以下、薬や除草剤だけでなく、有機の肥料や堆肥も与えない栽培法のことを自然栽培と表記しています。
「まるで雷に打たれたかのようだった」。衝撃を受けた自然栽培との出合い。

「まるで雷に打たれたかのようだった」。衝撃を受けた自然栽培との出合い。

「いくらおいしいといっても、おいしさにも限度があるでしょう。と、斜に構えていたんですが、自然栽培で育った小松菜を食べたときにはあまりのおいしさに驚いたんです。なんじゃこれってかんじでしたよ。自分の想像をはるかに超えていて、食べた瞬間はまるで雷に打たれたかのようでした」。
大学卒業後勤めていた農業法人での仕事にて、自然栽培との、運命的ともいえる出合いを果たした唐澤さん。その後は「最高においしいもの」を目指して独立し、自らの手で野菜をつくる挑戦をはじめます。
自然栽培とは、農薬や除草剤だけでなく、有機の肥料や堆肥も与えない栽培法。手間暇がかかり効率とは無縁のため、この方法を採用する農家さんは多くありません。でも唐澤さんは「最高のものを知っちゃったんだから、これに挑戦してみるしかない」という強い気持ちで、麦や大豆をはじめとした作物を生産しています。
根気強く耕作放棄地を開墾。ビールづくりで体にも地球にも良い場所を作る。

根気強く耕作放棄地を開墾。ビールづくりで体にも地球にも良い場所を作る。

縁あって茨城県・鹿嶋に畑を借り、『鹿嶋パラダイス』を結成した唐澤さん。夢を抱いて自然栽培を始めますが、ある壁にぶち当たります。それは主な作物である麦や大豆の市場での価値の低さ。同じくらい手間がかかるにも関わらず、麦は米の半分ほどの値段にしかなりません。
大豆はさらにその半値。「いくらおいしいものを作っても、おいしさでは市場価値は上がらない。熱意があっても、赤字で暮らしていけないなら続けられないし、次の世代に自信をもってすすめられないですよね」。
ただ、麦や大豆を育てることで土の中の菌のバランスがよくなり、自然栽培の畑は健康な状態に保たれるので、肥料やたい肥を与えなくてもよい土が出来上がります。麦の栽培は自然栽培の命といっても過言ではありません。そこで唐澤さんは、自ら育てた麦でクラフトビールを醸造する困難な道へ取り組むことに。
イチから生産して販売まで。一貫して行うことで生まれる誇り。

イチから生産して販売まで。一貫して行うことで生まれる誇り。

自信をもって育てた自慢の麦を、自らの手でビールへ。この理想の循環を実現するために4年間ビールづくりの修行を重ねた唐澤さんは、2016年に鹿嶋神社の参道にブルワリーを作ります。一度に仕込める量は、250リットルというとても小さな規模のマイクロブルワリー。
でも素材から一貫して向き合っているからこそ、唐澤さんが理想とする味をとことん追求することを可能にしています。
仕込み水は硬度が高く、ミネラルたっぷりの鹿嶋神宮の御神水を使用。仕込みのたびに、境内から手で汲んでくるという徹底ぶりです。もちろん、ビールの香りづけに欠かせないコリアンダーやオレンジピールもすべて自家製。
世界一から学んだ生き生きとしたものづくりを目指して。

世界一から学んだ生き生きとしたものづくりを目指して。

「勤め人時代に、世界一の称号をもつ生産者さんを訪ねる旅をしていたんです。みなさんに共通していたのは、原料の生産から製造、販売をすべて一貫して自分たちの手で行なっていたこと。例えばスペインの生ハムの生産者さんは、豚のエサを一から栽培していました。
みなさん仕事に誇りをもっているから、目をキラキラさせながら自らの商品を自慢してくるんです。この生き生きとしたものづくりを[パラダイス・ビア・ファクトリー]も目指しています」。
唐澤さんの“おいしさのためなら、手間は厭わない姿勢と情熱”が実を結び、世界五大ビール審査会のひとつ『インターナショナル・ビアカップ』で2018年に見事銀賞を受賞。その後も評価され続けています。
また、大豆を活かすために唐澤さんの大好物だというジェラート、そしてドーナツの販売も開始。[パラダイス・ビア・ファクトリー]から歩いてすぐの場所に[パラダイス ジェラート&ドーナツ]をオープンさせました。

この世に楽園を。関わる人の人生にパラダイスを。

「ビールやジェラートなどの嗜好品は、人をわくわくさせる力を持っていますよね。自分たちのつくるもので、まるでパラダイスにいるような気分になってもらうのが理想」。店名の[パラダイス・ビア・ファクトリー]には、唐澤さんのこんな想いが込められています。
「ビールもジェラートも規模は小さいからこそ、自分の意思で決められるのが一番のメリット。“こうしよう”と思ったらすぐに切り替えて、理想の味を追求できます。トライアンドエラーを繰り返すことで、生産している自分たちだけでなく、まわりの人たちの人生を豊かにしていけるんです」。
「環境への負荷が掛かるような大量生産、大量消費を続けていては、パラダイスではなくなってしまう。持続可能な世界にしていくために、黒を白に変えていくオセロのように自然栽培をどんどんと広げていきたい。それが今の使命です」。”おいしい”を追い求めることが、人生に広がり与え、サステナブルにも繋がることを、唐澤さんは身をもって感じています。
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2023/05/24 10:00

琵琶湖特有の希少な魚介を味わいやすく商品化。滋賀ならではの美味で個性的な湖の恵み。

魚繁大王殿(うおしげだいおうでん)
魚繁大王殿(うおしげだいおうでん)
魚繁大王殿(うおしげだいおうでん)
魚繁大王殿(うおしげだいおうでん)
日本最大で最古の淡水湖、琵琶湖の特徴的な魚介類『琵琶湖八珍』を広める活動をしている日本料理店[魚繁大王殿(うおしげだいおうでん)]。取り組みの一環として、二代目店主の岩崎勝さんを中心に立ち上がったプロジェクトが、その魚介類を使った食品『琵琶湖八珍 隠れシリーズ』の開発です。
現在はだし醤油、ポン酢、あられ、ドレッシングが商品化され、店頭やECサイトなどで販売中。では、『琵琶湖八珍』の種類やそれぞれの特徴とは。そして岩崎さんはどんなきっかけでプロジェクトを立ち上げ、一つひとつの商品を作っているのでしょうか。お店がある滋賀県東近江市を訪れ、地元の恵みや食文化への熱い想いを聞きました。
東近江に根差して半世紀以上。“温故知新”を掲げて地元の恵みと食文化を今に伝える。

東近江に根差して半世紀以上。“温故知新”を掲げて地元の恵みと食文化を今に伝える。

[魚繁大王殿]の創業は1970年。東近江・太郎坊宮(阿賀神社)の麓に開いた、『すし屋・魚繁』がルーツです。当時の高度経済成長に伴い会食や宴会需要が増え、やがて会席なども供する日本料理店となりました。
以来約半世紀、地元生産者とのつながりを大切に、郷土の恵みと食を伝えて今に至ります。
そして現在、初代の岩崎繁さんとともに同店を率いるのが二代目の勝さん。2013年に和食がユネスコ無形文化遺産に登録されるなど、世界中にその魅力が広がる一方、国内では日本料理離れが進んでいるのも事実。そんな現状を好転させるべく、同店で掲げている理念のひとつが“温故知新”。伝統的な素材や調理法を積極的に取り入れたり、郷土料理を提供したり、食文化を大切にしながらおいしさを届けています。
『琵琶湖八珍』を商品化して魅力を発信し、琵琶湖の水産業を盛り上げる。

『琵琶湖八珍』を商品化して魅力を発信し、琵琶湖の水産業を盛り上げる。

特に力を注いでいるのが『琵琶湖八珍』の認知拡大。これは琵琶湖を代表する魚介類のことで、ホンモロコ、スジエビ、ウロリ(ゴリ)、ハス、ビワマス、コアユ、ニゴロブナ、イサザの計8種で構成されています。琵琶湖は周囲の比良山地と鈴鹿山脈の栄養豊富な水脈によって、生き物がふくよかに育つ環境。
ただ、湖魚は琵琶湖でしか獲れないため海水魚より高価で、地元や京都などの高級料亭でしかほとんど扱われていません。一方、食の多様化や国際化などによって和食離れが進み、湖魚料理はますます珍しいものに。需要減とともに漁獲量も下がり、漁師や漁業関係者も減少。琵琶湖に関わる水産業は多くの課題を抱えており、その解決策として岩崎さんは『琵琶湖八珍 隠れシリーズ』の開発を思い立ったのです。
琵琶湖固有種の中でも人気のホンモロコ。力強い旨みを生かした渾身のだし醤油。

琵琶湖固有種の中でも人気のホンモロコ。力強い旨みを生かした渾身のだし醤油。

シリーズ第1弾の素材に選んだのは、琵琶湖固有種の中でも人気が高いホンモロコ。体長12cmほどに育ち、おいしさにも定評があるコイ科の高級魚です。旬は冬~春で、特に子持ちのホンモロコは美味で有名。素焼きのほか、佃煮、煮つけ、天ぷらなど調理法も幅広く、滋賀の郷土食『なれずし』にすることも。
このホンモロコの旨みを生かし、開発に2年をかけ2018年に完成したのが、だし醤油『もろこ隠れ』です。今でも仕込みは岩崎さん自らが担当。お店の厨房で香ばしく焼き上げたらすぐに、地元で1853年創業の老舗『水谷醤油醸造場』の濃口と薄口の醤油で炊き込み、湖魚ならではの奥深い風味を移していきます。そして、炊き上げたあとのホンモロコは丸1日かけて乾燥させ、1匹まるごとだし醤油の中に。
ポン酢醤油やドレッシングなどバリエーションを拡充。2025年のフルラインナップを目指す。

ポン酢醤油やドレッシングなどバリエーションを拡充。2025年のフルラインナップを目指す。

岩崎さんが第2弾に選んだのはスジエビ。体長2~4cmの小型なエビで、熱を入れた際の鮮やかな色味と、滋味深い香ばしさやエビみその甘みが特徴です。こちらは乾燥させたのち、弱火で煎りながらすりつぶして旨みを凝縮。爽やかなレモンを効かせ、エビの風味と酸味が調和した個性あふれるポン酢醤油『えび隠れ』を生み出しました。
そして第3弾はハゼ科の小型種、ウロリの稚魚を使い地元の『のむら農園』と協力して作った米菓あられ『うろり隠れ』。第4弾は、コイ科では珍しい魚食性のハスを使ったドレッシング『はす隠れ』を商品化。「2025年までに、『琵琶湖八珍』すべてを商品化させるという計画を立てました。簡単なことではないですが、一つひとつ丁寧に作っていきます」と、岩崎さん。その挑戦はこれからも続きます。

琵琶湖には知られざる美味がある。郷土の原風景に想いを馳せて。

日本料理を生業とする家に生まれ、琵琶湖をはじめとする雄大な自然の中で育った岩崎さん。京都調理師専門学校を卒業後、京都と滋賀の日本料理店で修業を重ね、料理人として成長するにつれ強くなった想いが、地元の自然と先人への感謝、そして郷土の原風景に対する憧憬だったそう。
「私は子どものころから琵琶湖や近所の川でよく遊んでおり、釣った魚を家で食べることもありました。このように地のものを自らとって味わったり、そうでなくても故郷の食や自然に触れたりという経験は、どなたにでもあると思います。その想いを共有したいという気持ちも、今回のプロジェクトを立ち上げた理由のひとつ。琵琶湖は全国的に有名ですが、そこには知られざる美味もあるということを、多くの方に知っていただけたらと思います」。
日本特有の「いただきます」には作り手と食材へ、ふたつの感謝が込められているといいます。とりわけ、食材への感謝は自然への敬意ともいえるでしょう。岩崎さんの言葉は、日本が世界に誇る文化「和食」の尊さをも再認識させてくれます。
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2023/04/18 09:00

「命は命で元気になる」。京都[発酵食堂カモシカ]が伝える発酵食品の素晴らしさ。

カモシカ食堂
カモシカ食堂
カモシカ食堂
カモシカ食堂
[発酵食堂カモシカ]は、京都・嵐山のほど近くに店を構える発酵食品専門店です。建物1階に[発酵食堂カモシカ]、2階に[発酵マルシェ]を構え、そこから徒歩30秒の距離に位置するラボでは『生甘酒』、『麹納豆』などさまざまな商品を作っています。そんな[発酵食堂カモシカ]の理念は「命は命で元気になる」。この命とは、人間と、発酵食品のなかに存在する微生物の命のことを指しています。
「すべての発酵食品は、素材のなかで微生物が働くことで人間だけでは成し得ない深みのあるおいしい味が生まれます。さらに、栄養価が上がる。微生物の力で生まれたおいしい食べ物で人間の体を元気にしたい、と考えています」とは、代表取締役の関 恵さんの言葉。関さんの発酵食品にかける想いを聞きました。
食堂は出会いの場。お客さまが発酵食品を身近に感じるきっかけを作る。

食堂は出会いの場。お客さまが発酵食品を身近に感じるきっかけを作る。

まずは、1階の[発酵食堂カモシカ]から見学させていただきました。入店してまず目に入るのが、木の棚にずらりと並ぶ保存瓶の数々。いずれも、ザワークラウトや柚子胡椒など自家製の発酵食品です。注文した料理を待つあいだ、これらの瓶を眺めているだけでも楽しい気分になります。
「お客さまが発酵食品を身近に感じるきっかけになるよう、あえて目に入る位置に保存瓶を並べています」と、関さん。「料理を食べて『おいしい!』と感じたら、その後にまたこの瓶を見て『自分の家でも発酵食品を作ってみようかな』と思ってくださるかもしれないと期待しています。なぜなら、ここに並ぶ自家製の発酵食品のほとんどが、瓶の中に材料を入れておくだけで完成する簡単なものばかりだからです」。
随所に光る職人技。素材本来のおいしさを引き出した、毎日でも食べられる自然な味。

食堂のメニューを通じて発酵食品のおいしい食べ方を提案する。家庭の食卓につなげる2つのステップ。

次に、食堂の人気メニュー『発酵8種定食』を試食させていただきました。お盆に並ぶのは、発酵8種盛りや旬の自家製ぬか漬けに、京白味噌のお汁といった発酵食品の数々。どれも発酵食品特有の深みのある味わいや、旨みが口いっぱいに広がります。
食堂のメニューのうち『ぬか漬け』や『季節の酵素ジュース』などはテイクアウトも可能。あるいは「自分で発酵食品を作ってみよう」と興味が湧いたら、2階の[発酵マルシェ]で材料や道具を買い揃えることもできます。
「食堂で実際に食べて発酵食品のおいしさを知ってもらい、テイクアウトかマルシェで自宅に発酵食品を持ち帰る。そんなふうにして、お客さまの生活に発酵食品が浸透していけばいいなと思っています」と、関さんは話します。
自宅で発酵食品を楽しんでほしい。そんな想いから生まれた[発酵マルシェ]。

自宅で発酵食品を楽しんでほしい。そんな想いから生まれた[発酵マルシェ]。

次は建物2階の[発酵マルシェ]を見学させていただきました。ぬか床の手作りキットや保存瓶など、発酵食品作るときに必要な道具がここで揃います。そのほかに自家製の『玄米甘酒ドレッシング』、全国から仕入れた魚醤や醤油など便利な発酵食品も並んでいます。
「味噌や醤油、ぬか漬けなどの発酵食品は日本の伝統食品です。味もおいしく栄養価も高く、保存食としても活躍するこの素晴らしい食文化を途切れさせないよう、このマルシェを『発酵食を台所に取り戻す』ための場にしたい」と、関さん。マルシェでは発酵食品に関する情報を詰め込んだオリジナルのフリーペーパーを配布しているほか、お店の方に相談すれば、自宅で発酵食品を作る際のアドバイスをもらうこともできます。
自身の体験から生まれた、発酵食品に対する熱い想い。

自身の体験から生まれた、発酵食品に対する熱い想い。

そもそも、関さんがこんなにも発酵食品に惹かれたきっかけはなんだったのでしょうか。
お話をお聞きすると、ご両親が薬剤師で、子どものころから健康に深い関心があったことがわかりました。成長する過程で自分でも勉強するうちに、関さんは特に予防医学に興味を持ったそう。
症状が現れてから薬を飲んで治すのではなく、日頃から丈夫な体づくりに励んで健康を維持したい。そんなことを思っていた矢先、出産・育児を体験してより一層、健康な体づくりに興味を持つようになったといいます。「そして行き着いたのが、食でした」と、関さん。丈夫な体を作る、良い食事をとること。それがもっとも簡単で、楽しく、長続きしやすい健康法なのだと。やがて知ったのが、発酵食品の素晴らしさだったのだといいます。

まずは、おいしい!楽しい!から。伝統の継承や健康への意識は、後づけでいい。

「子どもができるまでは、私も仕事が忙しくて食事をおろそかにすることもありました。当時の自分は、食から健康になりたいけれど、自炊する余裕もないし、かといって、どんな食べ物を選んで買えばいいのかもわからなかった。発酵食品に関する知識を得たいま、あの頃の私と同じように迷ったり悩んだりしている人の力になれたら」と、関さんは話します。ただし、関さんが大切にしているのは、まずは「おいしい!」と感じてもらうことだといいます。
「おいしい、と心の底から感じるからこそ毎日食べ続けるようになって、その結果として体調が整ってくる。体にいいという実感を得られることによって、より一層発酵食品を日々の生活に取り入れるようになり、やがて当たり前のように食卓に発酵食品が並ぶようになり、最終的に文化の継承につながっていく。それが理想形だと思っています」。
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