2023/10/11 10:00

日本酒とレモンがつなぐ人と未来。[ナオライ]が目指す、地域活性と伝統技術の継承。

ナオライ
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[ナオライ]が拠点を置く三角島(みかどしま)は、広島県呉市に属する安芸灘諸島のひとつです。瀬戸内地域といえば柑橘の産地として有名ですが、この島はレモンの名産地。なかでも[ナオライ]ではオーガニックレモンの生産者と手を組み、『MIKADO LEMON Sparkling lemon sake』や『琥珀浄酎』といった個性的なお酒を生み出しています。
代表取締役の三宅紘一郎さんは、日本酒の文化を守るために[ナオライ]を創業し、現在では三角島と、そこから海を挟んで真向かいにある大崎下島・久比(くび)にレモンガーデンを構えてレモンの栽培にも取り組むようになりました。レモンと日本酒を使った酒造りが、どのようにして『伝統技術の継承』『地方創生』といった社会課題を解決するのか?そして、商品名にもなっている『浄酎』とは?
三宅さんに話を伺うべく、[ナオライ]の手掛けるレモンガーデンを訪ねました。
「酒蔵の廃業を止めたい」。日本酒と関わりの深い一族に生まれたからこそ抱いた危機感。

「酒蔵の廃業を止めたい」。日本酒と関わりの深い一族に生まれたからこそ抱いた危機感。

呉駅から車を走らせること約1時間。青く美しい瀬戸内海を眺めながらいくつもの島を越え、橋を渡ると、大崎下島・久比にたどり着きます。「昔ながらの家屋がそのまま残っていて素敵でしょう」と、三宅さん。無理に都市開発せず、自然と共存する地域の在り方に惹かれて、ここに拠点を構えたといいます。
三宅さんが酒事業を始めたきっかけは、全国各地の古い日本酒蔵が続々と廃業に追い込まれている、その状況に危機感を抱いたことでした。
「親族に日本酒関係者が多く、幼いころから興味を持っていたんです」と、三宅さん。「何百年も時を重ねてきた酒蔵が消滅してしまうのはとてももったいない。ひとつでも多く酒蔵を残し、多様で豊かな日本酒文化を未来に引き継ぎたいと思ったのです」と、続けます。
豊かな土壌をつくり、生命力たぎるレモンを使用する。「皮まで食べられるフレッシュレモン」。

豊かな土壌をつくり、生命力たぎるレモンを使用する。「皮まで食べられるフレッシュレモン」。

日本酒文化の継承と同時に目指したのが、「地域の特産品を酒造りに取り入れ、一次産業に携わる人を増やしていく」ことでした。そこで着目したのが、瀬戸内海を代表する果実であるレモン。良質なレモンのつくり手を探して呉市内の島々を巡り、出会ったのが、三角島のレモン農園でした。
三宅さんは、ここのレモンの弾けるようなおいしさに感動したそう。「手間暇かけて栽培されたレモンは、安心して皮ごと食べられるうえに、香りが強くて味が濃い。このレモンを使い、心身共に健康になるお酒をつくりたいと思いました。また、規格外で市場に流通しにくい果実を買い取ることで、産業の持続に貢献できるはずだと考えたのです」(三宅さん)。
レモンと日本酒をかけ合わせて生まれた『MIKADO LEMON Sparkling lemon sake』。

レモンと日本酒をかけ合わせて生まれた『MIKADO LEMON Sparkling lemon sake』。

現在、[ナオライ]の代表銘柄のひとつとなっているのが、日本酒とレモンの香りをかけ合わせたスパークリングレモン酒『MIKADO LEMON Sparkling lemon sake』(以下、『MIKADO LEMON』)です。
2015年頃からこの商品の開発を進め、それと並行して三角島の一画を開墾して自社農園でのレモンの栽培を始めました。
2017年、遂に『MIKADO LEMON』が完成。その後、三宅さんは『MIKADO LEMON』を30本販売するごとに1本のレモンの木を植樹するシステムを作り、2021年時点で330本の植樹に成功しました。久比・三角島にオーガニックレモンバレーが広がる未来を夢見ています。レモンを消費するだけではなく生産にも取り組み、久比・三角島の自然と人から感謝される酒造りをしたいと思っています」(三宅さん)。
日本酒の価値を再定義する。[ナオライ]の技術力と信念がつまった『琥珀浄酎』。

日本酒の価値を再定義する。[ナオライ]の技術力と信念がつまった『琥珀浄酎』。

次に三宅さんが着手したのが、全国の酒蔵から日本酒を仕入れることでした。『MIKADO LEMON』の原料になるレモンは[ナオライ]でつくっていますが、三宅さんはさらに、「酒蔵の維持・継承に貢献するために、全国から日本酒を仕入れ新しいお酒をつくろう」と考えたのです。この想いを実現させたのが、独自の『低温浄溜』という技術。
各地の酒蔵で醸す純米酒を40℃以下の低温で『浄溜』し、日本酒由来の豊かな香りと風味を残したまま、水分だけを抜いて長期保存に耐えられる『浄酎』という新たな酒にしたのです。
「『浄溜』『浄酎』は、清酒をさらに清らかにする、という意味を込めた当社の造語です」と、三宅さん。「そして『琥珀浄酎』は、日本酒の華やかな味わいを凝縮し、ミカドレモンの皮を漬け込み、さらに木樽で熟成させてバニラ香をまとわせています」。

伝統産業・日本酒と広島の特産品・レモンの魅力を世界へ発信しながら、未来へつなげる。

なぜ、日本酒を『浄溜』させる必要があるのか?その理由を、三宅さんはこう語ります。
「日本酒はアルコール度数が高くないために、一般的には『新鮮であればあるほど価値が高いお酒』として認識されてきました。また、温度管理も徹底しないといけないので、海外への輸出が難しいお酒です。なんとかして日本酒由来の香りや旨みの素晴らしさを海外に広められないかという思いが、『浄酎』開発へとつながったのです」。
『浄酎』は、ウイスキーなどの蒸留酒と同じく、時間が経つほど味がまろやかになり、深みを増します。そして、日本酒がもつ旨みや香りも楽しめる。「日本酒文化を未来に引き継ぎたい」という三宅さんの想いから始まった[ナオライ]の挑戦は、『浄酎』として結実したのです。
全国の酒蔵と連携し日本酒を仕入れ、そして広島のレモン生産者と手を組みながらつくられる[ナオライ]のお酒は、『地方創生』『伝統技術の継承』といった社会の課題を解決する鍵を握っています。「時間とともに浄酎が熟成して味わいに奥行きが生まれるように、[ナオライ]の描く未来は、焦らずとも、ゆっくりじっくり、やがては必ず実現すると確信しています」と、三宅さんは力を込めて語ってくださいました。
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2023/08/16 10:00

1673年創業の老舗酒蔵が探求する『酒粕』の可能性。

玉乃光
玉乃光
玉乃光
玉乃光
伝統が綿々と受け継がれる街、京都。この地の食文化とともに歩み続けてきた老舗酒蔵[玉乃光酒造]が今改めて注目しているのが『酒粕』の存在です。この酒粕が日本酒業界を明るく照らすだけでなく、循環のある未来を切り拓いてくれる、輝かしい存在になることを願って。
コロナ渦でお酒の消費量が激減。日本酒を作り続ける意義を問われる日々。

コロナ渦でお酒の消費量が激減。日本酒を作り続ける意義を問われる日々。

京都駅から車を15分ほど南に走らせた場所にある伏見区に[玉乃光酒造]はあります。創業約350年。「利益より酒本来の味わいを楽しんで欲しい」と、米と麹だけで造る『純米酒』を業界に先駆けていち早く復活させ、実直に酒造りを続けてきました。しかし、新型コロナウイルスの流行により、持続可能な経営について、今一度考えなくてはならなくなります。
「代々伝わる製法で造り続けてきているので、私も従業員たちも、味にはもちろん自信がありました。でも、おいしいものを作っているだけでは、今後さらに350年経営を続けていけるかと言われると難しい。新たな切り口を見つけるため、従業員たちに[玉乃光酒造]の魅力って何だろうと、改めて聞いて回ったんです」と、副社長の羽場洋介さん。
ヒアリングをしたところ、酒粕に対して生き生きと語る従業員たちの表情が印象的だったと言います。そこで、酒粕に光を当てた、羽場さんの挑戦が始まりました。
オーガニック米から生まれる酒粕で、持続可能社会への扉を開く。

オーガニック米から生まれる酒粕で、持続可能社会への扉を開く。

酒粕とは、蒸米、麹、水を仕込んで発酵したもろみから日本酒を絞り出した後に残る、白色の固形物です。日本酒を造る際に必ず生まれる、いわば副産物。[玉乃光酒造]は『純米吟醸酒』と『純米大吟醸酒』しか造っていないので華やかな香りを持つ酒粕が残ります。
「フードロスの観点からも、この酒粕を世間の人により知ってもらう取り組みをはじめました。その一つが、2022年に京都市内にオープンさせたレストラン&ショップ『純米酒粕 玉乃光』です」。『純米酒粕 玉乃光』は、「酒粕を日常に」をモットーにしたアンテナショップのような存在。酒粕に馴染みがない人にも楽しんでもらえるよう、酒粕と京都の食材をあわせた料理を提供しています。
健康にも効果が期待できる酒粕が、循環型未来への道しるべに。

健康にも効果が期待できる酒粕が、循環型未来への道しるべに。

「お酒って健康とは反対のイメージがありますよね。でも、酒粕はたんぱく質、ビタミン、食物繊維が豊かな食品。コレステロールを下げる作用もあると言われており、ウェルビーイングな暮らしには欠かせません。7年ほど前から、うちで使っているお米の一部はオーガニック認定を受けた有機米になっていますので、健康意識が高い人にも好評です」。
甘酒や粕汁だけでなく、ヨーグルトや味噌など、発酵食同士を組み合わせる調理法がおすすめだそう。丁寧に心を込めて日本酒を造る工程で生まれた酒粕に、さらなる価値を見出す活動が広がることにより、従業員の自信にもつながり、さらにおいしい日本酒と酒粕が生まれるという、未来のある循環が創出されています。
「京都の酒造りの伝統を次世代に繋ぐ架け橋のような存在になりたい」。

「京都の酒造りの伝統を次世代に繋ぐ架け橋のような存在になりたい」。

京都・伏見の地名は『伏し水』が語源だといわれているほど、美しい地下水に恵まれた土地です。[玉乃光酒造]では、その水を用いて日本酒を造っています。さらに麹はすべて手づくり。土地の恵みと、受け継がれた技術によって[玉乃光酒造]の日本酒および酒粕は誕生するのです。
「決して効率の良い作業だとは言えないのですが、人の手でしっかりと米や麹の状態を確認することがやっぱり大切。また、この伝統技術を絶やしてはいけないという使命感もあります。いいものを安く、様々な人に飲んでもらうという社会的な取り組みを進める一方、フードロスを防ぐために酒粕の魅力の発信や、酒造りの背景を知ってもらう活動を並行して行なっていきたい」。
日本酒の可能性をさまざまな方向から追求する、羽場さんの創意工夫に満ちた活動はまだまだ続いていきます。
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2023/04/18 09:00

「命は命で元気になる」。京都[発酵食堂カモシカ]が伝える発酵食品の素晴らしさ。

カモシカ食堂
カモシカ食堂
カモシカ食堂
カモシカ食堂
[発酵食堂カモシカ]は、京都・嵐山のほど近くに店を構える発酵食品専門店です。建物1階に[発酵食堂カモシカ]、2階に[発酵マルシェ]を構え、そこから徒歩30秒の距離に位置するラボでは『生甘酒』、『麹納豆』などさまざまな商品を作っています。そんな[発酵食堂カモシカ]の理念は「命は命で元気になる」。この命とは、人間と、発酵食品のなかに存在する微生物の命のことを指しています。
「すべての発酵食品は、素材のなかで微生物が働くことで人間だけでは成し得ない深みのあるおいしい味が生まれます。さらに、栄養価が上がる。微生物の力で生まれたおいしい食べ物で人間の体を元気にしたい、と考えています」とは、代表取締役の関 恵さんの言葉。関さんの発酵食品にかける想いを聞きました。
食堂は出会いの場。お客さまが発酵食品を身近に感じるきっかけを作る。

食堂は出会いの場。お客さまが発酵食品を身近に感じるきっかけを作る。

まずは、1階の[発酵食堂カモシカ]から見学させていただきました。入店してまず目に入るのが、木の棚にずらりと並ぶ保存瓶の数々。いずれも、ザワークラウトや柚子胡椒など自家製の発酵食品です。注文した料理を待つあいだ、これらの瓶を眺めているだけでも楽しい気分になります。
「お客さまが発酵食品を身近に感じるきっかけになるよう、あえて目に入る位置に保存瓶を並べています」と、関さん。「料理を食べて『おいしい!』と感じたら、その後にまたこの瓶を見て『自分の家でも発酵食品を作ってみようかな』と思ってくださるかもしれないと期待しています。なぜなら、ここに並ぶ自家製の発酵食品のほとんどが、瓶の中に材料を入れておくだけで完成する簡単なものばかりだからです」。
随所に光る職人技。素材本来のおいしさを引き出した、毎日でも食べられる自然な味。

食堂のメニューを通じて発酵食品のおいしい食べ方を提案する。家庭の食卓につなげる2つのステップ。

次に、食堂の人気メニュー『発酵8種定食』を試食させていただきました。お盆に並ぶのは、発酵8種盛りや旬の自家製ぬか漬けに、京白味噌のお汁といった発酵食品の数々。どれも発酵食品特有の深みのある味わいや、旨みが口いっぱいに広がります。
食堂のメニューのうち『ぬか漬け』や『季節の酵素ジュース』などはテイクアウトも可能。あるいは「自分で発酵食品を作ってみよう」と興味が湧いたら、2階の[発酵マルシェ]で材料や道具を買い揃えることもできます。
「食堂で実際に食べて発酵食品のおいしさを知ってもらい、テイクアウトかマルシェで自宅に発酵食品を持ち帰る。そんなふうにして、お客さまの生活に発酵食品が浸透していけばいいなと思っています」と、関さんは話します。
自宅で発酵食品を楽しんでほしい。そんな想いから生まれた[発酵マルシェ]。

自宅で発酵食品を楽しんでほしい。そんな想いから生まれた[発酵マルシェ]。

次は建物2階の[発酵マルシェ]を見学させていただきました。ぬか床の手作りキットや保存瓶など、発酵食品作るときに必要な道具がここで揃います。そのほかに自家製の『玄米甘酒ドレッシング』、全国から仕入れた魚醤や醤油など便利な発酵食品も並んでいます。
「味噌や醤油、ぬか漬けなどの発酵食品は日本の伝統食品です。味もおいしく栄養価も高く、保存食としても活躍するこの素晴らしい食文化を途切れさせないよう、このマルシェを『発酵食を台所に取り戻す』ための場にしたい」と、関さん。マルシェでは発酵食品に関する情報を詰め込んだオリジナルのフリーペーパーを配布しているほか、お店の方に相談すれば、自宅で発酵食品を作る際のアドバイスをもらうこともできます。
自身の体験から生まれた、発酵食品に対する熱い想い。

自身の体験から生まれた、発酵食品に対する熱い想い。

そもそも、関さんがこんなにも発酵食品に惹かれたきっかけはなんだったのでしょうか。
お話をお聞きすると、ご両親が薬剤師で、子どものころから健康に深い関心があったことがわかりました。成長する過程で自分でも勉強するうちに、関さんは特に予防医学に興味を持ったそう。
症状が現れてから薬を飲んで治すのではなく、日頃から丈夫な体づくりに励んで健康を維持したい。そんなことを思っていた矢先、出産・育児を体験してより一層、健康な体づくりに興味を持つようになったといいます。「そして行き着いたのが、食でした」と、関さん。丈夫な体を作る、良い食事をとること。それがもっとも簡単で、楽しく、長続きしやすい健康法なのだと。やがて知ったのが、発酵食品の素晴らしさだったのだといいます。

まずは、おいしい!楽しい!から。伝統の継承や健康への意識は、後づけでいい。

「子どもができるまでは、私も仕事が忙しくて食事をおろそかにすることもありました。当時の自分は、食から健康になりたいけれど、自炊する余裕もないし、かといって、どんな食べ物を選んで買えばいいのかもわからなかった。発酵食品に関する知識を得たいま、あの頃の私と同じように迷ったり悩んだりしている人の力になれたら」と、関さんは話します。ただし、関さんが大切にしているのは、まずは「おいしい!」と感じてもらうことだといいます。
「おいしい、と心の底から感じるからこそ毎日食べ続けるようになって、その結果として体調が整ってくる。体にいいという実感を得られることによって、より一層発酵食品を日々の生活に取り入れるようになり、やがて当たり前のように食卓に発酵食品が並ぶようになり、最終的に文化の継承につながっていく。それが理想形だと思っています」。
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2023/04/18 09:00

300余年続く京菓子店に嫁いだ女性が、女将として看板を背負うまで。

笹屋伊織
笹屋伊織
笹屋伊織
笹屋伊織
月に3日しか販売されない、幻のどら焼をご存知でしょうか。手掛けるのは創業306年の老舗[京菓匠 笹屋伊織]。
江戸時代末期に東寺に納める御用菓子として誕生したどら焼は、今なお店を代表する銘菓です。そして[笹屋伊織]を語るとき、このどら焼とともに忘れてはならないひとりの人物がいます。それが十代目女将・田丸みゆきさんです。今から29年前、大阪から京菓子の老舗に嫁いできたみゆきさん。まったく未知の世界で奮闘し、傾きかけていた店を立て直し、そして幅広い世代への情報発信により和菓子界全体に貢献してきた名物女将です。
きっとそこには、多くの苦労や挑戦があったことでしょう。そんなみゆきさんの物語を伺うため、京都を訪れました。
女性が活躍するチャンスが少なかった京菓子界の古い風習。

女性が活躍するチャンスが少なかった京菓子界の古い風習。

雅な和服姿で出迎えてくださったみゆきさん。まずご自身のお話の前に、京菓子の世界の風習について聞かせてくださいました。実は『京都の和菓子』とひとことで言っても内実は、お茶会や贈答品としての和菓子を商う『お菓子屋(=上菓子屋)さん』、家族などで日常的に食べるお菓子を扱う『おまんじゅう屋さん』、そして正月をはじめとしたお祝いの餅菓子の『お餅屋さん』の3種類に区別されているのだそうです。
そして[京菓匠 笹屋伊織]が属する『上菓子屋』の世界は、厳然たる男性社会。宮中御用達の流れを汲んだ上菓子屋仲間で結成される『菓匠会』には男性しか参加できず、女性が表舞台に立つことはほとんど無い世界。みゆきさんは29年前、そんな古色蒼然たる京菓子の世界へ大阪から嫁いできました。そしてその日から、みゆきさんの挑戦の日々は始まります。
随所に光る職人技。素材本来のおいしさを引き出した、毎日でも食べられる自然な味。

最初の想いは店の売上よりも「この素晴らしい伝統を伝えたい」という熱意。

[京菓匠 笹屋伊織]の創業は、徳川吉宗が将軍となった年と同じ1716年。いくら老舗の多い京都でも、ここまでの長い歴史を持つ店はそう多くありません。しかしみゆきさんが嫁いできた頃は「傾きかけた小さな和菓子屋さん」だったといいます。
それでも府外から来たみゆきさんの目には、伝統の内側にいる人々には当然とされていたことも、新鮮に、素晴らしく映りました。「店の売上を伸ばしたいという以前に、まずこれほど素晴らしい京菓子の文化を少しでも伝えたいと思いました」。しかしそこは伝統と風習に縛られた京菓子の世界。よそ者のみゆきさんの声は、簡単に聞き入れられるものではありません。それでもみゆきさんは、持ち前の負けん気で、とにかく行動をはじめました。
文化発信の広告塔になるために。京菓子界で前代未聞の「女将」が誕生。

文化発信の広告塔になるために。京菓子界で前代未聞の「女将」が誕生。

みゆきさんがまず行ったのは、ホームページの開設。世にはまだSNSもない時代。お店側からの情報発信の重要性にいちはやく気づいていたのです。さらにそのホームページに、『女将の部屋』と題したページをつくり、自身の想いを発信しました。『女将』という言葉を使ったのは、このときが最初。
肩書を周りから勧められた『十代目当主夫人』ではなく『女将』にしたのは、自身が看板を背負い、京菓子の文化を伝えるため。「長いと呼びにくいでしょ?」みゆきさんは、お茶目にそう笑いますが、この肩書にもみゆきさんの強い決意が込められているのです。そしてそこからみゆきさんの活躍が続きます。社内報の作成、和菓子文化に関する講演、新店の出店、社員教育。店はいつしか売上7倍、社員数4.5倍の規模に成長していました。
新たな挑戦を続ける原動力は、積み重ねられた伝統への敬意。

新たな挑戦を続ける原動力は、積み重ねられた伝統への敬意。

カフェを併設した新たなスタイルの店[笹屋伊織 別邸]の壁面には、和菓子の木型が飾られています。職人が手仕事で丁寧に彫った木型、それはいわば伝統への敬意の証。常に前を向き、走り続けているようなみゆきさんですが、その根底には受け継がれる歴史への強い敬意が潜んでいます。
「行事ごとに食べるお菓子、記念日に食べるお菓子、そして日本人がもっとも古くから食べているお菓子である小豆。先人たちが大切にしてきたものを守り、伝えていくことが使命」みゆきさんはそう言います。南区吉祥院にある本社には、資料室も併設されています。そこにも木型やお菓子を入れるための箱である行器(ほかい)などが大切に保管されていました。「代々積み重ねてきた歴史があって今がある。それを忘れないように」そんな言葉が印象的でした。

走り続けた29年間。気づけば『女性の活躍』をテーマにした講演依頼も。

「お菓子を売るのではなく、お菓子を食べる幸せな時間を提供していきたい」みゆきさんは、これからの夢をそんな言葉で伝えてくださいました。京菓子の世界という男性社会で女将として老舗の看板を背負う。言葉にされなくとも、そこにはさまざまな葛藤や障害もあったことでしょう。それでも明るく、力強く、次々と新たな挑戦を続ける姿は、多くの働く女性に勇気を与えてくれます。
ちなみにみゆきさんは女将として休みなく働きながら、4年の間に3人生まれたお子さんを一人前に育て上げました。当初、和菓子文化の発信が中心だった講演も、現在では『300年企業の経営』『社員教育」』『女性の生き方』といったテーマに広がっています。[京菓匠 笹屋伊織]のお菓子を味わうとき、女将・田丸みゆきさんの優しく、明るい笑顔が浮かび、そのおいしさをいっそう心に刻んでくれそうです。
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2023/04/18 09:00

美しい田園風景を次世代につなぐ。自然と共存する[フクハラファーム]の米作り。

フクハラファーム
フクハラファーム
フクハラファーム
フクハラファーム
滋賀県彦根市南部の[フクハラファーム]は、本州最大規模となる約200ha(甲子園球場約52個分)の農地で米作りを行う農業法人です。琵琶湖のほとりで栽培するため水不足に悩まされないことを強みとし、品質が安定した丈夫なお米を育てています。さらに、飛騨山脈からの風が田んぼを吹き抜けていくため風通しが良く、農作物が病気になりにくいこともこの土地の特長です。まさに、豊かな自然が育てたお米。見た目は透き通るように白くつやつやで、食べればもっちりとした食感に魅了されることでしょう。なんといっても甘くて風味が強いのです。一体、どのようにしてこのお米は作られているのでしょうか。稲刈りの様子を見学させていただきました。
自分の愛する風景を守りたい。創業者の思いを引き継ぎ、『守る農業』に取り組む。

自分の愛する風景を守りたい。創業者の思いを引き継ぎ、『守る農業』に取り組む。

フクハラファームに伺ったのは10月初旬。よく晴れた空の下、金色に輝く稲穂がサラサラと音を立てながら風になびいていました。二代目社長の福原悠平さんはこう語ります。「創業者で父の昭一は、自分の生まれ育ったふるさとの景色が変わりゆく中で、なんとしても田園風景を守り、未来へとつなげたいと思ったそうです。
そこで、勤めていた会社を退職し、1995年に[フクハラファーム]を設立して専業農家となりました」。創業から一貫して大切にしているのは、安全・安心な農産物を育てることと、農業を通して地域社会へ貢献すること。こうした理念から減農薬・減化学肥料栽培を実施し、約200haの農地の内、3割程度は『滋賀県環境こだわり農産物』認証を取得しています。
随所に光る職人技。素材本来のおいしさを引き出した、毎日でも食べられる自然な味。

環境へのやさしさを追求した『アイガモ農法』。

さらに、20年近く前から『アイガモ農法』に取り組んでいます。これは、5月下旬から7月にかけてアイガモを田んぼに放ち、アイガモを泳がせることで水を濁らせながら雑草の発生を抑え、かつ、アイガモの糞尿を肥料とする栽培方法です。
また、一部の田んぼでは「3年以上継続して農薬と化学肥料を使用しない」などの厳しい基準をクリアした有機JAS認証を取得しています。
こうした自然に寄り添った米作りを行う一方で、最先端技術の導入にも積極的です。ロボットトラクターを導入しているほか、栽培データの収集やAIを使った実証実験など大学との共同研究にも参加し、作業を効率化して人への負担を減らすための努力もしています。
化学肥料を減らすため近隣の畜産農家と連携。地域内での循環型農業を目指す。

化学肥料を減らすため近隣の畜産農家と連携。地域内での循環型農業を目指す。

また、[フクハラファーム]の敷地の付近を車で走っていると、畑の真ん中に小さな土の山のようなものが見えてきます。「近隣の畜産農家から集めた家畜の堆肥の野積みです」と、悠平さん。これらの堆肥を提供してもらいながら土づくりを行うことで化学肥料の使用をおさえ、かつ、地域内での循環型農業へとつなげているのです。
「堆肥は家畜の糞を発酵させて作りますが、匂いが出てしまうことが欠点でもあります。私たちのように広い敷地をもっていて、民家や店舗など人の生活空間と距離を保つことができる生産者だからこそできる取り組みです」と、悠平さんは続けます。自社の強みを活かして地域に密着した米作りを行う。これも、フクハラファームが創業以来大切にしていることの一つだといいます。
父の想いを受け継ぐことが、サステナブルな農業を実現する。

父の想いを受け継ぐことが、サステナブルな農業を実現する。

稲刈りの見学を終え[フクハラファーム]の事務所に戻って来ると、入り口の看板に書かれたこんな言葉に目が留まりました。『美田悠久(びでんゆうきゅう)』。日本の美しい田園=美田を未来永劫悠久につなげていく『守る農業』を実践する、という[フクハラファーム]の理念を表す造語です。
「自然のなかで仕事をする以上、できるだけ環境に負荷を与えないことが重要です。この環境を守らなければ、父が愛した田園風景が消えてしまうだけでなく、将来、必ず自分たちが困ることになる。農薬を極力使わないようにすることが豊かな自然を守り、最終的には自分たちの農業を持続可能なものにすると考えています」と、悠平さん。帰りに琵琶湖線の列車から見えるフクハラファームの田んぼの稲穂が、夕焼けの景色のなかでより一層輝いて見えました。
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